「国立研究開発法人 科学技術振興機構」というながい名前の組織が、『THE MAKING:サイエンス チャンネル』という番組で、わたしたちの生活に身近な、さまざまな「モノ」がどうやってつくられているのかを映像だけで紹介している。
ぜんぶで300本以上の「作品」数になっているが、HPではなぜか記念すべき1号の表示がなく、2号の「マヨネーズのできるまで」(1998年)から紹介している。
徹底的に、「工場見学」だけに特化した番組で、BGMだけ、ナレーションはなし、テロップに読み仮名がついて説明するだけだから、対象は小学生を意識しているのだろうけど、おとながみいってしまう内容になっている。
それぞれがだいたい15分程度でまとめられているので、ついうっかり観ていると、一時間があっという間に経過する。
いまどき、ニュースをふくめて時間のムダでしかない地上波放送を観るのなら、よほど教育的だといえるが、製作からの時間経過がやや気になるところだ。
YouTubeでは、どうしたことかランダムに映るので、つぎはなにか?という意外性もあって、一杯やりながらの家内とのひとときは、もっぱらこのシリーズを「観賞」している。
どうやってつくられているのか?という全体の流れも興味があるけど、対象物を振動させたり落としたり、その工程における「アイデア」に感心するのである。
どうしてこんな方法をおもいついたのか?
という説明は一切ない。
ただひたすら、製造工程の順番に映像もながれていく。
それで、意外な工程で「人手」や「人力」をかけているのを観ると、その「手間」の理由をかってにかんがえることになる。
日がな一日、この単純作業をすることのモチベーションはなにか?とか、余計なことまで想像してしまうが、現場ではおそらく「余計」ではないだろう。
安価で手に入る日常品が、かくも人間の手間をかけているのかという場面では、家内とふたり、ただただ驚嘆することしきりなのである。
もっと値段を高くしてもいいのに。
ましてや、食品工場ともなると、複雑な機械がでてくるたびに、気になるのが「清掃の手間」である。
おそらく、製造終了後の後片付けにおける細部までの清掃に、驚くほど面倒な労力をかける努力がはらわれているはずだ。
製品を大量に製造するための合理的機構と、衛生保持のための作業とに、放置すれば絶望的な断絶だってあるにちがいない。
このときの「メンテ」にかける手間が、製造の簡易さをうわまわれば、たちまち「合理的機構」の合理性がうしなわれる。
すると、設計者はどんな工夫をこらしているのか?
あるいは、現場ではどんなうまい方法をおもいついたのか?
そしてそれが、どのように設計者にフィードバックされて、新製品になっているのか?
じつに気になるところである。
すると、設計のための予備知識と、フィードバックが交互にやってくることがわかる。
これが、「スマイル・カーブ」の発想につながる。
スマイル・カーブとは、横軸に設計から製造をへてフィードバックされるまでの「工程」をおいて、「価値」を縦軸にしたグラフを書いたときにあらわれる、人間が笑った口元(「U」より開いた)のような曲線になるために命名されたものだ。
工業が、単純に「大量生産」をめざしていた時代、さいわいにも世界は「物不足」という時代でもあったから、「大量消費」ということがかさなって、なんでもいいから作れば売れる、ということが成立していた。
このときは、「設計」→「製造」→「フィードバック」などの各工程が生む「価値」を同格あつかいできるほどだった。
だから、スマイル・カーブはぜんぜん「スマイル」ではなくて横棒一本(「-」)のグラフになっていた。
社内でも「同格」だから、経営トップは社内各部署の「平等」を旨として決済することがもっとも重要だったし、自身の保身にもなったのだ。
ところが、あまねくモノが世の中に浸透すると、こんどは「機能」と「品質」の時代になる。
さらに、製造方法がデジタル化して、コンピューターによる機械コントロールが可能になると、適切な製造立地が途上国に移転した。
こうして、本国では「設計」と消費者からの「フィードバック」に価値がたかまって、「製造」そのものが生みだす価値が「相対的」に低下したから「スマイル・カーブ」になったのである。
さてそれで、わが国はどんなふうに産業を進化させるのか?
これをかんがえるひとたちが、「公務員だ」という倒錯が常識になってしまっている。
「有職故実=前例主義」に基盤をおく「しかない」公務員こそが、日本経済の進展をことごとく邪魔しているのに、なにをかんがえているのだろうか?
ソ連末期、ダメな経済立て直しに国家の介入を強化したら自滅したことを忘れたか、覚えてすらいないのだろう。
金融の世界だって、国内最優秀者たちをあつめて金融庁の役人にとってかわれば、わが国の金融界は世界的になれる、という幻想をまじめにかたるひとまでいる。
そんなことをするよりも、規制官庁を廃止して「自由化」一発で済むはなしである。
前世紀のおわりにできた『THE MAKING:サイエンス チャンネル』の「凄み」とは、この意味における国家介入の「絶望」を、ひたすら追求している「国立」の組織があるということなのだ。