日本人の本質は、「なまけ者」である。
こういうと、そんなことはない、世界で一番の働き者が日本人だというひとがたくさんいるだろう。
けれども、日本むかしばなしを思いだせば、たいがい「なまけ者」がでてくる。
これを戒めるはなしがたくさんある、ということは、やっぱり「なまけ者」がたくさんいたのである。
コンサルタントで唯一人、本物の神社の「神様」になったのは、小田原城内にある二宮神社の二宮尊徳(金次郎)である。
戦国の雄の一角をなした、小田原の北条家は早雲を初代にして、わずか五代で滅亡したが、関八州240万石の大大名だったことは確かである。
秀吉の小田原征伐のあと、江戸に本拠をおいた徳川家にとって、箱根をおさえる役割と旧北条の後始末もあって、大久保忠世(徳川16神将のひとりで、弟にはあの「大久保彦左衛門」がいる)が、小田原城主となった。
その後、転封国替えとなったが、ふたたび初代城主の忠世から老中職にある大久保家が下総佐倉藩から小田原城主となり明治までつづく。
老中をはじめとした幕府の重職を歴代が務めた家格のため、藩財政は窮乏し、そこに金次郎活躍の土台があった。
幕末から明治の「すごいひとたち」は、下級武士とはいえ、あんがい上司に認められて活躍の舞台を与えられるパターンがある。
二宮金次郎は、身分制があるなかでの「農民」であって、下級どころか武士ではない。
かれは、縁あって小田原藩家老の家事手伝いとして奉公にあがる。
藩財政が傾いているから、家老の家も経済的に傾いているのは当然だった。
あろうことか、金次郎は、この家の家計を再建してしまい、これが家老の目をひいて、なんと、この家老がみずから金次郎を殿様に紹介し、殿様が藩財政の再建を金次郎に依頼することにまでになったのだ。
いかに藩主からの依頼といっても、納得しないのは藩士たちだ。
もちろん、わたしたちは、この「コンサルタント案件」を見事に成し遂げたことをしっているが、「当時」の時代背景から、それがいかほどの困難を伴ったかは、並ではないことぐらいは理解できる。
それで、信頼を得た金次郎は、藩主の親戚筋まで紹介されて、千葉県佐倉市の陣屋における開墾の逸話が「なまけ」を見ぬく例になっている。
やる気のないひとは、たくさんいたのである。
この時代の主たる産業は、いうまでもなく「農業」だった。
幕末=明治初期のわが国は、農業従事者が人口の8割以上だった。
だから、金次郎が時代の「先端技術」を農業に投入して成功させ、これをもって彼を、「篤農家」というのは間違ってはいないが、不満が残る。
もし、いまの時代だったら、果たして金次郎はどうしたのか?
その合理的な発想から、IT企業の先駆者になっていたのではないか?と思うからだ。
おなじ結果を出すなら、楽な方法がよい。
このときの「楽な方法」とは、なまけ者の農民を見ぬき、叱りつけたこととはぜんぜんちがう「なまけ方」の追求であって、それは、「合理」からしかうまれないものだ。
たとえば、料理。
プロの料理人としての「腕」とはなにか?
大きなフライパンを振って、いちどに大量のチャーハンが作れることが特殊な技だとすれば、いまでもそのとおりである。
ところが、コンクリート・ミキサーのような形をした、チャーハン専用釜が開発されたら、できあがりがおなじようで、誰にでもつくれるものになったとすれば、さてどう評価すべきか?
これは、日本蕎麦の世界で一回あった。
大正期、機械製麺が普及する前、珍しさもあって、「手打ち」ではない「機械打ち」がハイカラで「うまい」とされたのである。
その後、「手打ち」が「うまい」の時代が続いているから、果たしてどっちなのか?
結局は、「粉」の品質ということで落ち着いている。
そんなわけで、世界の工場になった大国の報道で、「日本製スマホが世界から相手にされないワケ」という記事がでた。
かれらの分析は適確で、日本の技術はいまだに世界最先端なのに、「利用者の利便性追求」ではなくて、「作り手の都合を優先させた」からだという。
まったくそのとおりである。
利用者の不便を便利にさせるから、ほしくなる。
それが、自分たちの売りたいものを作るから、売れない。
金次郎とて、おなじことを指摘している。
「コロナウィルス」しか分析できない「検査」でふえた「感染者」のうち、何人が「新型」で、何人が「旧型」だったかの区別のはなしがないなか、「コロナ倒産」がいわれだした。
このうち何件が「あるべき倒産」で、何件が「本当のコロナ禍」だったのか?の区別がつかない。
倒産は気の毒なことながら、「区別できない」状態で騒いだら、なにがなんだかわからない。
二宮金次郎なら、きっちり区分して、その対策を練るにちがいない。
200年前の日本人ができたことが、できなくなっている。