問題に気がつけば,なんでも解決しなければならない,とかんがえることを「なんでも解決病」という.
気持はわかるが,アプローチがわるい.
それで,いっこうに問題が解決しないから,極端に拘泥する.
そして、まさに,泥沼化するのである.
この病気のメカニズムは,目的合理性の欠如,からの,最適化アプローチの検討を無視した解決策の実行,による.
つまり,ちゃんとかんえずに行動してしまう,ということにある.
だから,本来は解決策にならない解決策を実行して,ズルズルのドロドロになるのである.
「やったからには後には引けぬ」という論理である.
日本人の失敗の典型的な思考・行動パターンである.
しかしながら,むかしから「押してもダメなら引いてみな」という言葉があるし,「岡目八目」といって第三者的な目線だとよく見えるという比喩もある.
家庭の台所によくある,レバー式水栓は左右に振れば水の温度が変えられて,上下に動かせば水が出たり止水することができるから,温水専用のコックと水専用のコックをまわして水量を調節しながら温度も調節する方法とは雲泥の差の便利さがある.
ところが,この水栓にも大問題があった.
上で止水するか,下で止水するかという問題である.
毎日のことだから,「なーんだ」という問題ではない.
それに,他人の家に行って,これが逆だとおもわぬところで水浸しにしかねない.
一方の方法に慣れているから,無意識に操作してしまうのだ.
決着は,阪神・淡路大震災の後についた.
「下で止水」がJIS規格になったのだ.
台所の棚からものが落ちて,レバーにあたっても「下で止水」なら問題ない,という「安全性」が勝った.
国内最大手が採用していた「上で止水」方式をいまでも使用していたなら,阪神・淡路大震災の前の製品だと断定できるようになった.
いまだに解決しない事例では,国産車のウィンカーとワイパーのスイッチ位置と外国車の位置が逆であることがあげられる.
国産車のウィンカーは,右側.外国車は左側.
国産車のワイパーは,左側.外国車は右側である.
外国車のハンドル位置が右だろうが左だろうがこれは変わらない.それで,国産車の運転に慣れたひとが外国でレンタカーを借りると,ここ一番の交差点でワイパーが動き出すことがある.
国産車の位置は,JIS規格で決まっていて,外国車はISO規格で決まっている.
だから,この問題は「規格」の決定要素が根源にある.
大手自動車メーカーによる,完成検査の不正も,国内規格に合致しない,ということだから,最初から完成検査をもとめない外国の規格では,なんの問題もなかった.問題メーカーの自動車輸出は好調をキープしている.
ちなみに,国産車の輸出車は,当然ながら相手にあわせてISO規格になっているから,ウィンカーとワイパースイッチは外国車とおなじである.
日本車を買った外国人が,ここ一番の交差点でワイパーを動かすことはない.
「鉄板規制」にじつはJISも含まれている.
物の世界では,目で見えることがおおいから,わかりやすい,とはいうものの,だからといって簡単に解決できないこともある.
このあたりで,産業デザインの専門家は,驚くほど頭脳をつかっている.
そして,このあたりのことに,人的サービス業なかんずく伝統的な宿泊業者や観光業者は,驚くほど無関心である.
それでいて,プロを自認していることにどれほども疑問をもたない.
他業界のひとには不思議にみえるかもしれない.
しかし,これは、なんでも解決病がおこす症状にすぎない.
冒頭に書いたように,なんでも解決しようとして,結局はなにも解決できなかったから,振り返りすらできない.
こんがらがった問題のストーリーの糸が,ぐちゃぐちゃで丸まっているのを,放置するという「解決策」にたどり着くのである.
中小零細企業だから人材が不足してできないのだ,というもっともらしい理由をいうひともいる.
そんなはずはない.
中小零細企業だから,問題解決には論理が必要だとかんがえる経営者はたくさんいる.
むしろ,大企業だから人材が豊富なはずなのに,経営者がなんでも解決病に罹患した患者だと,肝心の人材が流出してしまう.
そうなると,経営計画がつくれない.
つくっても,株主に見せられない.
「こんな薄っぺらでは恥ずかしい」と,恥の文化だけはもっている.
それが単なる見栄だとしても,原因が自分にあるとは思えないのが患者の患者たるゆえんである.
泥沼はつづく.