連日、新たな「感染者数」が報道されている。
なんだか「ふえている」ようになっているのだけれども、ほんとうなのか?と、ついうっかり疑いたくなるのは、以下の二点からの説明が報道されないからである。
第一に、検査数がふえていることと、陽性のふえかたの相関がわからない。
検査が3月4日付け「健感発0304第5号」として、厚生労働省健康局結核感染症課長から、各都道府県などの衛生主管部(局)長宛通達がでて、3月6日から「健康保険が適用される」ことになった。
つまり、検査件数の分母が大きくなるのだから、分子である陽性のひともふえるはずだ。
「国民全員に検査を実施せよ」といいだした「医師」がいたが、仲間である医師会がこれを否定した。
人間の数としての医療機関の要員を、全部投入しても1億2千万人分の検査なんて「できっこない」からである。
それに、既存の患者を放置しての計算でもある。
つまり、医療機関の活動が停止してしまうし、ほんとうに「陽性」のひとを本人がしらずに病院に呼び寄せることにもなって、待合における濃厚接触を促すことになってしまう。
だから、単純に「ふえている」というのは、どういう意味かをいわないのは、無責任ではないか?
第二に、この「通達文書」にも、「PCR検査でなければ、感染が疑われる者が新型コロナウイルスを保有しているか確認できない」と明記されているように、PCR検査自体の重要度はあるものの、確度の問題が正確に報道されていないのではないか?という疑問である。
ほんらい、たとえば、エイズなどの場合、PCR検査の確度は高いという。
しかし、今回の新型コロナウイルスは、そうはいかない。
インフルエンザの検査のように、鼻孔やのどの奥をこすってサンプルを採取しても、咳があるならまだしも、症状がないと反応しない。
肺の奥にいるからである。
かんたんにいえば、「一回の検査で診断できる精度でわかるのか?」という問題だ。「診断」という「判断」のことである。
一回目の検査でたとえ「陽性」であっても、どのくらいの「確度」なのか?
逆に、一回目の検査で「陰性」だから、「もう大丈夫、安心してください」といえるのか?ということである。
むしろ、「疑わしきは疑え」を適用すると、「陽性」ならそのまま隔離されて経過観察され、症状が出ないまま二度目の検査で「陰性」になることもあるけど、「陰性」だからといって「大丈夫」にはならない。
「陰性」なのに、症状があるひとはどうするのか?となると、やっぱり「経過観察」して、つぎの検査で「陽性」となることもある。
つまり、残念ながら、唯一の検査方法である「PCR検査」には、「確度が低い」という決定的な欠点がある。
これを、数学的に説明している動画があるから、自宅待機で暇なかたは、検索してご覧になるといいだろう。
ちなみに、発生源の国で「英雄」となった医師は、何回かは「陰性」で、最後に「陽性」となって死亡した。
世界各国の報告では、最大で6回陰性であったひとがいるというから、全部で7回検査して「診断」された。
すると、世の中で「感染者」といわれているひとたちは、いったいほんとうに「感染」しているのか?
報道機関は、「感染」と「診断」されたひとの数を、毎日集計して発表しているのか?一回だけの検査で、「陽性」のひとの数字か?
以上のように、なんだかあやしくなるのである。
これを、「ついうっかり疑いたくなる」程度でよいものか?
はなはだ、自分で不安になる。
それもこれも、報道機関や政府の説明が、曖昧だからである。
このようなときには、「正確さ」こそが最重要だと誰もがいうくせに、ぜんぜん正確であるとはおもえない。
むしろ、不正確であっても、国民が家に閉じこもるようになれば、そのうち収まる、という感じがしてならない。
やっぱり、責任をとらなくてよいからである。
「無責任男」といえば「植木等」の大ヒット二本である。
どちらも1962年の製作で、『時代』が7月、『野郎』が12月の公開だった。
なお、併映されたのは、こちらも伝説となった、『駅前シリーズ』だから、いまからすればなんとも贅沢な「お笑い」をみんなで観ていたものだ。
しかしながら、よくよく観れば、『無責任男』は破天荒だがあんがい常識人なのである。
「こんなやついない」と父親はいっていたが、この映画を笑ってみていたから、真実があったろう。
ただ、高度成長のエネルギーだけでは語れない。
むしろ、まじめに働いているとおもわれるひとたちの、本音における不真面目さが面白いのである。
主人公の周辺にいる「ふつうのひとたち」に注目すれば、その無責任さは主人公の比ではない。
まさか都知事になるとは、人間の未来とはわからない。
「青島幸男」は、『意地悪ばあさん』よりも、「作詞」に凄みがあった。
公約を貫いて、臨海副都心での「世界都市博」を中止にした「真面目さ」で、B面の『ハイそれまでョ』をそのままやった。
都民は、まさか公約をまっとうするとは思わなかったかもしれない。
その意味で、公約をまっとうした、ただひとりの都知事だった。
そんなわけで、わたしは幻の都市博の、当時は珍しかった磁気カード型入場券を購入していまだに棄てずに持っている。
ほんとうに「中止」になるとは、おもわなかったからである。
相手が正しく、わたしの期待が裏切られた証拠になっている。
はたして、青島知事なら、いまの状況をどうしたものか?
まじめにかんがえると、気分が滅入るから、クレージー映画を観ようとおもう。
それとも、理科の学習ならば、フィンランドの中学生の教科書でも読んで、科学リテラシーを高めようか?
「コロナに効く」という商品をムダに買わなくてすむかもしれない。