なるほどね。
史上初のマイナス価格がついたのは、4月先物で、決済日は21日である。
商品先物には、株とちがって「決済日」がある。
そして、この日に、「現物」がやってくる。
通常なら、どこかのタンクに入れてもらって、これを「現物」で売ることになるのだが、自粛の影響で工場がとまったから、貯蔵タンクが一杯になってしまった。
それで、おカネを払って引き取ってもらうことになって、原油が「産廃」のような事態になった。
ついた値段がマイナス40ドルという、「前代未聞」である。
だれが引き取って、どうしているのか?の報道はない、けど。
来月5月の先物は、一応20ドルの値がついているけど、どうなるかはわからない。
ただし、現物のスポット取引もあるし、石油市場は世界中にあるので、われわれのガソリン代や電気代がすぐさま安くなるということにはなりそうもない。
マイナスをつけているのは、アメリカの「市場」ばかりである。
石油価格がおかしくなってきたのは、サウジアラビアとロシア、それに石油純輸出国になったアメリカの三つ巴が発端である。
アメリカが、石油純輸出国になったのは、シェール・オイルのおかげであるが、こちらは採掘にコストがかかる。
しかし、石油価格が60ドルをうわまっていれば、採算がとれるというから、「高価格」というトレンドで成り立つという弱点がある。
一方、ロシアは、石油と天然ガス「しか」これといった外貨獲得手段がなくなった。あとは、武器だ。
資本主義になれなかったツケである。
なので、ロシアの意図は、EUへのエネルギー支配という「切り札」を持ち続けることだが、それには適度な「高価格」が望ましい。
サウジアラビアの思惑は、石油王としての地位の維持と、それにともなう中東・アラブ圏の盟主の地位の安定化にほかならない。
宿敵、イスラエルとイランをにらんでいるものの、頼りはアメリカしかない。
しかし、これが揺らいだのは、アメリカが中東の石油を必要としなくなってしまったからだ。
そんなわけで、アメリカ軍まで引き上げるモードになって、とうとうアフガニスタンと和平を結ぶところまできた。
そうはさせじと、サウジが反対するロシアを振り払って、一国で「増産」したのは、石油価格を低下させて、アメリカのシェール・オイル事業を潰そうとしたのである。
けれども、あんまりの「損」がかさんで、やっぱりロシアと協議して「減産」をはじめた矢先だった。
世界ではやりだした病気のせいで、肝心の「需要」が激減してしまったのだ。
この減り方が、とんでもないレベルなのだ。
三者三様、どちらさまも、相手は「地下に眠る天然資源」である。
「減産」とか「増産」とかいって、コントロールしてきてはいるが、「停止」はない。
むしろ、地下から出てくる状態を「止める」ことができないのは、井戸のパイプが圧力にもたないからである。
すると、今度は、石油会社の体力勝負になることまちがいない。
経済でいう「体力」とは、そのまま「資本力」のことである。
資本力とは、「資金調達力」でもあるし、「信用力」のこという。
自己資本が足りなくなれば、株式を発行するか、他人から借りるしかない。
アメリカのシェール・オイル会社は、サウジが「増産」したときに、一社が破たんしている。
かれらのおもな資金調達方法は、高金利の社債である。
シェール・オイル事業は、市場価格が高値安定で成り立つという「リスク」が、債券価値を低下させるからだ。
あんまりの「高金利」だから、一般に「ジャンク債」ともいわれる。
したがって、すでに興亡の戦場は、石油市場から債券市場という「場」に移っている。
アメリカのFRBが、債券を直接購入する方法で、「金融緩和」したというニュースは、このことをいう。
しかし、世界の債券市場そのものが「巨大バブル」になっている。
その金額は、「リーマンショック」の比ではない。
石油という、「現物商品」が、金融商品になったのが「先物」である。
それが引き金になって、津波のように世界経済を襲うことになりかねない、重大な局面にあるといって過言ではない事態になった。
この「津波」のエネルギーは、世界で起きた「需要減」なのだ。
まさに、「本物」がやってくる直前に、海岸の水が、はるか沖まで引いていくようなことがはじまったのである。
「結果としての利益・利潤」をもとめずに、「目的としての利益・利潤」を追求する典型が、「先物」を含めた「デリバティブ」といわれる「金融関連商品」である。
もちろん、「株式」だって、デイトレーダーという「目的としての利益・利潤」を追いかけるひとたちもいる。
かつて、土光敏夫が倒産しかかった東芝の社長になったとき、彼は、自社株で報酬を受け取っていた。現金の支出をすこしでも減らし、自分の仕事の成果の責任をまっとうしようとしたからである。
引退したとき、大量の東芝株の価値は、とんでもない金額になっていた。
おなじ「株式を購入する」という「行為」なのに、「結果としての利益・利潤」を求めるのと、「目的としての利益・利潤」を求めるのとでは意味がちがうのである。
この、土光敏夫のようなひとを「キャピタリスト(本物の資本主義者)」というのである。
ここに、これからの「あたらしいかんがえ方」のヒントがある。