もうなんだかわからない。
「浮き草」をずっとやって流されてきたけれど、その場その場をその都度しのいできたら、なにがどうなっているのか見当もつかない。
あたかも、「敗戦」とは、まさかの「アナフィラキシー・ショック」だったかのように。
碩学、小室直樹は、アナフィラキシーではなく、社会学用語の「アノミー」を用いて、国民的「ショック状態」を解説していた。
「アノミー」は、フランスの社会学者エミール・デュルケームが提唱した、社会の規範が弛緩・崩壊することなどによる、無規範状態や無規則状態を示す言葉、と定義されている。
わたしの知人に、元特別高等警察官だった父をもつ御仁がいる。
このひとの兄は、たいへん優秀で、陸軍大学校卒のエリート軍人だったけど、戦後になって恐るべき「アウトロー」になったという。
話を聞けばきくほど、「アノミー」の症状が個人に出たと思われてならない。
「軍高級将校たちの腐敗」という体験によるショックに続いて、「敗戦」という社会的第一次ショックがきたら、次に、「占領」という第二次ショックがやってきて、さらにまた、日本人の精神を腐らせる「占領政策」という第三次ショックが襲う。
個人でも、ナイーブなひとは、「津波」の波状攻撃ように「心」を破壊されたのだろう。
こうして、国は再独立したものの、ぜんぜん立ち上がれないばかりか、自身が進んで破壊者になった。
あたかも、佐木隆三原作『復讐するは我にあり』(今村昌平監督、1979年、松竹)のようである。
海軍幼年兵だったわたしの亡父も、「日本人を骨抜きにする政策が行われて、そのままになっている」と子どものときから聴かされた。
陸大卒のエリートならば、もっと深刻にかんがえたのは間違いない。
だから、兄貴は「人間が変わってしまった」ということの意味がわかるというものだ。
人間という動物のDNAがうんぬんされるようになったのは、「遺伝」の発見からである。
最初は、修道士だったメンデルの有名な「えんどう豆の色」。
いまからわずか70年ほど前の1953年、 ワトソンとクリックが「遺伝子の2重らせん構造」を発見した。
だからといって、いまだに「人間とはなにか?」の本質的な理解が完全にできているとはまったくいえない。
むしろ、いろいろと分かれば分かるほど、ゴールが遠のいていくように、「謎」は深まるばかりである。
「個体」としての人間がそんなありさまだから、「集団」となった場合の「社会」だって、かんたんに解明なんかできない。
それが、「エセ科学」のまん延で、あたかも「わかったつもり」になってきたから、より世の中が混乱するのである。
たとえば、「ビッグデータとAIの活用」に期待が高まっているけれど、目的と手段が逆転した議論になっている。
なんだかたくさんデータを集めれば、なにかがわかるだろう。
実際は、こんなことはない。
ところが、「あるように」宣伝することで、「ある」に変化するのが現代の人間社会なのである。
このような「壮大な実験」は、かつての「啓蒙主義の時代」から、断続的に人類は試みている。
「あるように」を宣伝することが、「啓蒙」だった。
それで、フランス革命になって、さらにロシア革命になった。
ヒトラーの実験も、このあとに続いて、いまは大陸の大国が引き継いでいる。
「信念がないことが信念」に「改造」されたのが、戦後日本人だから、物理法則のように、エネルギーが安定する方向に「自然」とすすむ。
それが、「安逸さ」という「安定」なのである。
昭和の終わりと平成の初め、つまり、「御代」の交代時期と、「戦後の頂点」の時期とが重なるのは偶然ではない。
戦後の昭和が内包した、「安逸さ」を追求させられたことの結論が、「バブル経済」とその「崩壊」であったのは、時代を支えた「人材の交代時期」でもあったからである。
戦後高度成長をけん引した経済人たちは、みな明治生まれだ。
でも、バブルのイケイケをやったのは、昭和の戦中か戦後生まれなのである。
高度成長期の経済人は、「昭和大帝」(1901年生まれ)とだいたい同世代なのである。
政界において「今太閤」といわれ、「若く」して頂点に立った田中角栄だって、1918年(大正7年)生まれだ。
つまり、田中角栄の同時代の実力者は、明治生まれだから「若手」といわれた。
ロッキード事件の宿敵、三木武夫は1907年(明治40年)生まれなのだ。
「平成」が、昭和のダラダラな延長だったのは、「安逸さ」からの脱却を一切しないという、「安逸さの保守」をしていたからである。
そして、この「安逸さの保守」のことを、ただ「保守」というようになったのが、「平成」という時代だった。
しかし、「安逸さの保守」は、戦後すぐに仕込まれたことだから、見事に「一貫」しているのである。
それが、「保守」としての「自由民主党」の素顔である。
だから、劣化しているようでそうでない。
いまを「劣化」というなら、それは、「戦後の日本国民全体」の劣化にほかならない。
そこにやってきたのが、「任期切れ」という期限である。
ほっておいても選挙をしないといけないのだから、なんでもいいから「解散」でもして格好をつけよう。
そんなわけで、「やけくそ解散」なのだ。
あとは、なにかの「きっかけ」さえあればいい。
たとえば、オリンピックの中止とか、たとえば、アメリカの政変とか、さすがに台湾有事で選挙はできないから、「任期切れ」での臨時政府になるかもしれない。
「やけくそ」だから、なんでもありなのである。