イスラム化した日本

本稿は、モスク(礼拝所)の数がこのところ増えたとか、土葬に対処しないといけなくなった、とかという話ではない。

日本社会の、イスラム化、という話だ。

イスラム教とは、旧約聖書から発した宗教だ。
ムハンマド(むかしは「マホメット」と呼んだ)が神からの啓示を受けたとされるのが、西暦610年のことである。

ちなみに、わが国だと645年が、大化の改新だと習ってきた。
いまは、乙巳の変(いっしのへん)と習うそうな。

イスラム教の、「天国」は、いわゆる「酒池肉林」だとされている。
それゆえに、現世では酒を飲んではいけない。
一夫多妻(4人まで)というのは、ジハード(聖戦)で未亡人になった女性の保護が当初は理由だったとか。

しかし、日本のイスラム化とは、こういうことをいいたいのではない。

意外かもしれないが、イスラム教では道徳を重んじている。
行動にできないから、という皮肉もあるのは、「育ち」の問題がある。
金満の産油国以外、ほとんどが貧困のなかにある。

じっさいに、アラビア半島ではじまったイスラム教のはじまりの頃に、石油は重要物資ではなかった。
まさに、砂漠の宗教であったのである。

だから、サウジアラビアのひとも、1000年間お祈りしたら、石油がでた、という。
これは、行為に対する報酬だとみなされている言葉なのだ。

「神頼み」のことである。

しかし、旧約聖書の神は、決して人間の要求を現実化しようとかんがえる存在ではない。
ユダヤ、キリスト、イスラム教に共通の「神」は、全知全能にして絶対神なのである。
つまり、この神は、人間に厄災までもたらす。

その理由は、モーセが授かった、『十戒』以来の、「契約」に基づく。
神は「称える」もので、「祈願する」ものではないというのが、共通認識だ。
だから、たとえば修道女が健気に、「あゝ神様、私の願いをかなえて下さい」と祈るのは、本来なら禁忌である。

神が十戒を刻んだ石板を納めて運んだのが、「契約の箱」である。
これを冒険ものとして描いたのが、記念すべき第一作、『インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク(聖櫃)』(1981年)だった。

そんなわけで、日本人がかんがえる、人間の都合を頼むと叶えてくれる、人間に奉仕する「神」とは、真逆なのが、中東起原の神だ。

しかし、人間が優先する思想が「権利」という法概念から広まって、それがまた、「人間らしい生活の要求・欲求」という、世界的な社会運動になったのである。
もちろん、この中には、人種の問題も含まれているので、その延長には、移民・難民問題がある。

アメリカ民主党・バイデン政権が強力に推進して、これに同調していた民主党の州知事や市長たちが、他人事のように、「聖域都市宣言」をして、不法であろうがなんであろうが人間としての権利を護るべきだとしていたら、南部国境からの大量不法入国者を、自分の州や市で大量に受け入れるはめになって、とうとう降参の手を挙げだした。

それが、「バイデン政権は補助金をくれない」という、内輪での乞食運動になったのである。

なんだ、カネなのか?というのは、不思議でもなんでもなく、行政というのは「カネ次第」でしかないものだからだ。

つまり、行政を万能だと信じてはいけない。
それをしたら、宗教になるのだ。

ところが、世界的に行政が絶対だという、あたらしい信仰がうまれたのである。

わたしは、発信元はわが国だとおもっている。
官僚国家としての、わが国は、世界史上最強だと世界から評価されたし、それをまた国民が自慢までした愚があった。

アメリカは、1979年にSESを創設し、ヨーロッパは、EU委員会をつくった。
モデルにしたのは、わが国の官僚制なのである。

日本人は、日本が世界に影響力なんかぜんぜんないと勘違いしているが、長く世界第二位の経済大国だった影響力を、絶対的に過小評価するようにプロパガンダされている。

そんなわけで、アラブ圏を中心に、道徳というキーワードで、向こうから日本を見倣う意識が広まっているのである。
そしてそれが、イスラム的だと、好評価されている。

これがまた、イスラム教のひとたちが日本移住を目指す理由となっている。
芯を失ったわが国は、もっともイスラム化するエリアとなっている。

表面的なことでなく、内面的には、とっくにイスラム化しているのだ。

一方で、古代イスラエルの失われた10支族として、旧約聖書にある12支族のうち、2支族の行方が不明であった。
だから、「失われた2支族」がただしい。

しかして近年、そのうちの1支族は、ミャンマーで発見されて、イスラエルは国として正式に認定した。
残る1支族が、日本人ではないか?という疑いがあって、イスラエルはこれも正式な調査をしているのである。

そんなわけで、中東起原の対立する宗教が同時に、日本に向いているのである。

戦争になったパレスチナも、シオニズム運動(聖書でいうエルサレムにある「シオンの丘」に帰れ、という政治運動)で、第二大戦後のユダヤ人国家の土地をどこにするか?という問題で、すんなりいまのイスラエルに決まったわけではない。

シベリア、チリ、パレスチナ、そして、北海道が候補だったのである。
大国の意向で、住民には関係なく国境が決まる、その悲劇が北海道で起きたかもしれなかった。

遠い国でドンパチやっている、という第一次大戦のような時代でないのに、のんびりしていられるのも、あとわずかしかないかもしれないのに。

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