キリスト教とトランプ政治

先週のUAE(アラブ首長国連邦)に続いて、昨日はバーレーンもイスラエルとの国交正常化を発表した。
これは、ひょっとしてアラブ諸国が、雪崩を打って変化しているということではないのか。

不可能といわれてきた歴史がうごいている。

困ったことに、わが国のマスコミは「アラブ諸国の反対」として、あろうことかトルコとイラン外務省の発表を報道し、エジプトの賛成を報道しない。

アラブの定義は、アラビア語を話してイスラム教を信仰していることだから、トルコ語のトルコとペルシャ語のイランは、ぜんぜん「アラブ諸国」にあたらない。ちなみにエジプトの正式国名は「エジプト・アラブ共和国」である。

アラブとは関係ない「外野」をアラブと呼ぶ、このポンコツな報道は、なんだろうか?
無知な国民を啓蒙する気概もなく、ただの「嘘」をたれ流す。
総務省に影響力がある、次期首相には、放送法の厳格な執行と、意図的な誘導には、「詐欺」同様、放送免許に関する罰則を追加すべきだろう。

さてさてそれで、バーレーン側も発表しているように、仕掛けはやっぱりアメリカ・トランプ政権である。
9日、ノルウェーの国会議員が、トランプ氏を「ノーベル平和賞」に推薦する書簡をノーベル委員会に送ったと表明した。つまり、トランプ氏は、ノーベル平和賞にノミネートされたのである。

この議員は、「前に受賞したオバマ氏は口先だけで何もしなかったが、トランプ氏にはめざましい成果がある」とインタビューでこたえている。
もちろん、この発言もわが国マスコミは報道せず、受賞に否定的だ。
どうなるか?受賞自体よりも、マスコミの「正しさ」に興味がわく。

トランプ氏とは何者なのか?
前回の大統領選挙から、今日までも、わが国のマスコミが報道することは、トランプ氏を「異常者」扱いすることばかりである。
日本国民はトランプを憎み、民主党を贔屓するように誘導されている。

ところが、東アジアにおいてあからさまな人権侵害があって、これを強力に阻止しようとしているのがトランプ氏の政権だから、なんだか日本人でも気がつくひとは気がつきだしている。
まずいのは、当事国の支配者とアメリカ民主党の方だ、と。

民主党の支持者が、東西の海岸エリアに多数なのは、世界貿易や国際金融取引をつうじて生計を立てているからである。
一方、共和党の支持者が多数なのは、内陸部で、こちらは内向きの反グローバリズムであるだけでなく、熱心な「福音派」(プロテスタントの聖書信仰)であることでも内向きなのだ。

なお、共和党の最初の大統領は、エイブラハム・リンカーンである。

イエスの教えの「真髄」といわれている一節のひとつには、『マルコによる福音書』2の22、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」がある。(新共同訳)

これは、旧約聖書の律法(モーセの十戒)を厳守するひとたち(「ファリサイ派」ともいう)と、イエスの論争の一コマなのである。
人間がつくった古いしきたりや法によって、人間ががんじがらめになることへの「拒否」がこの言葉なのだ。

モーセによる古い契約(旧約)を、全人類が新しい契約(新約)にあらためる、という思想的根源である。(わが家は天台宗の檀家である)

この当時、ぶどう酒は羊の革袋にいれて発酵させるのが常識だった。新しいぶどう酒をつくるために古い革袋にいれると、硬くなった革が発酵ガスによって裂けてしまう。だから、新しい革袋でなければならなかった。

イエスは、この「革袋」を、「制度」に見立てたのである。
そして、このことがファリサイ派の怒りをかって、とうとう十字架にかけられた。

トランプ氏は、内陸を拠点にする「共和党」の政治家である。
なので、東西の海岸を基盤とする「民主党=グローバリズム」に対抗する立場にあるし、実際に対抗している。

ちなみに、社会主義や共産主義は「国際共産主義運動」ということもあるように、「グローバリズム」の本筋である。
グローバリストが批判する、「新自由主義」はぜんぜん「グローバリズム」とはちがうけど、これをすり替える作戦が成功している。

その共和党には、二派があって、一般に「(共和党)主流派」と「(共和党)保守派」といっている。
「主流派」には、ブッシュ親子が代表され、「保守派」にはレーガンが代表されて、トランプ氏は「保守派」である。

主流派は武器をふくめた貿易を重視するので、グローバリズムに近い。だから、「ネオ(新)」をつけて、「ネオコン(新保守)=じつは主流派」といって、もとからある「保守派」と用語を分けたのだ。
パパ・ブッシュが再選されなかったのは、福音派の支持を失ったからである。

逆に、保守派は「反グローバリズム」なのである。
では、なにを「保守」しているのか?
それは、キリスト教福音派の信仰なのだ。

トランプ氏は、徹底的に「新しい革袋」をつくっている。
これは、人間優先の思想でもあるから、人権侵害を許さないのである。

わが国でも、官僚主義に対抗する重要な意味をもっている。
がちがちの法によって縛りがきつくなっている。
経済衰退の元凶がここにある。

新しい政権に、果たして新しい革袋は作れるのだろうか?

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