カナダ人の「お怒り」が、アメリカに「伝染」して、ヨーロッパにも、という具合になってきている。
『コンボイ』(1978年)は、「トラック」が集まってできる「船団」の意味だと知らなかったので、ポスターを観てもピンと来なかった。
「ふとしたことをきっかけに」という、ドラマの発端は、ストーリー展開で重要なことだろうけど、後からできた『ランボー』(1982年)の方が「先」にイメージ付けがされている。
この2作に共通の、理不尽な「保安官=権力」に対抗する、という意味では、「西部劇」とおなじなので、幸せだった日本人には単なる「娯楽」にしかみえない設定だったけど、不幸にも「権力の横暴」が見えてきた昨今、妙に「リアル」な「怒りの爆発」なのである。
やっぱり、「ふとしたことをきっかけに」トラックに「煽られる」恐怖を描いたのは、スティーブン・スピルバーグの『激突』(1971年)で、NBCが放送した『警部マクロード』(1970年~77年)役のデニス・ウィーバーが、こんな役をやっていたのかと、やっぱり「順番」が逆になっていた。
『激突』は、その後の『ジョーズ』(1975年)の「先行作品」とも言われていたけど、ちょっと「後出しじゃんけん」のような気もする。
1975年から79年という、意外に短い期間に10作もできた『トラック野郎』シリーズは、やっぱり日本が「幸せな時代」を描いていて、もう決して戻らないから、妙にノスタルジックになれる作品集になってしまった。
23日に西海岸のバンクーバーあたりからはじまった、トラックの抗議デモは、東海岸側の首都オタワを目指す、「大陸横断」超長距離の「旅」となっている。
その距離は、約4000㎞超。
鹿児島から稚内までの「往復」よりも遠い。
それで、カナダのトラックデモは、『Freedom Convoy』という名前がついて、参加する台数がどんどん増えた。
5万台を超えて、「パレード」の総延長は70㎞になり、沿道で応援するひとは140万人に達したという。
過去の車列のギネス記録は、エジプトでの7㎞ほどだったので、一気に10倍の「記録」になったけど、アメリカ側からも続々と「参加」していから、どこまで伸びるかわからない。
いまは「冬」で、関東地方も寒いけど、カナダではマイナス20℃~30℃がふつうだから、「沿道で応援」というのは「ふつうじゃない」ことだといえる。
それに、参加するドライバーたちを援助するための「基金」もできて、毎日約1億円が集まっている。
当初、マスコミは「無視」を決め込んでいたけれど、あんまりにも巨大化して、とうとう無視できなくなった。
それで、こんなことになった「理由」の「矮小化」というプロパガンダを開始している。
それは、「ワクチン義務化への反対」という「だけ」の理由説明である。
「トラック運転手」という、職業に対する「差別」もにじみ出ている。
低学歴で高度な仕事に就けない、あらぶれ男たちの「我が儘」だということにしているのだ。
「事実」は、ぜんぜんちがう。
特に「冬期」のカナダは、新鮮な野菜の9割も、南側のアメリカに依存しているから、陸路でかならず「国境を越える」ことが必須となる。
それでもって、「8割」のドライバーは、とっくに「接種済み」だった。
「8割」という数字は、彼らの常識ではありえないほど「高い」のだ。
日本人の「潔癖症的全体主義」をあてはめてはいけない。
そこに、カナダ・アメリカの双方が「義務化」ということを言い出して、未接種者には国境での2週間の隔離を決めた。
温度管理ができないから、荷台の野菜が凍って傷む。
運送業の職業倫理に照らして、加えて「自由」の概念にも照らして、いい加減にしろと、「堪忍袋の緒が切れた」のだ。
なんども説明するけれど、「自由主義」の「自由の概念」とは、「他人から命令されない」という意味の自由のことで、自由放任・好き勝手ができる、という意味ではない。
自由の「本場」では、このちがいを誰もが知っている「常識」だ。
残念ながら、日本では、自由放任・好き勝手、という意味が「上」をいく常識がある。
彼らが諸手を挙げて「自由を叫ぶとき」と、日本人が「自由を主張するとき」の、意味がぜんぜんちがうことは、特に意識すべきことだ。
自分たちの仲間への「攻撃」という意味もあるけど、両国の「左派=社会主義」政府の強権的な理不尽に「ぶち切れた」というのが本当の「理由」なのである。
だから、一般人の共感を得て「沿道」にひとが集まって、自分の財布から寄付をしているのである。
これに「共感」して、アメリカからもカナダに向かうトラック野郎がいるのは、そういう意味で、マスコミの説明のような「浅はか」ではない。
そして、ヨーロッパにも「伝染」しようとしている。
「イケメン」だけど独裁的傾向がある、首相のトルドーは、自身が「感染」したとして、「家族みんな」で秘密の場所に「自主隔離」して、行方がわからないから、「濃厚接触」はどうするのかも適当になっている。
けれども、オタワへの「橋」の一部を「封鎖」する、という「姑息」をやって、周辺住民に不便を強いる「強権」も発動している。
英国の女王陛下の代理人たる、「カナダ総督」が、伝家の宝刀を抜いて「トルドー解任」をするのでは?という「噂」があるのは、国民の「期待」があるからだ。
いまさら「まんぼう」をやる、日本政府には、「保身」しかないことがわかるし、あおれば儲かることを知ったマスコミの「強欲」が、ギネス更新のトラックデモを伝えない理由がここにある。