「名著課程」と訳すようである。
「学校」が整備されていない時代には、家庭で教育するしかなく、そのための教材は、いくつもの「名著」だったことによる。
すると、活版印刷の発明がどれほどの恩恵をもたらしたかは、いまでいう「ネットの普及」に匹敵したか、それ以上だったろう。
なにしろ、「筆写」しか方法がなかったのだ。
だから、書き損じに気づかないと、いつの間にか書き損じも筆写のオリジナルになってしまう。
しかも、「紙」が貴重だったのだ。
古代エジプトのパピルスは、画期的な発明だったにちがいないけど、製造方法が復元されたのは意外にあたらしいし、その工程も意外と複雑なのである。
だから、やっぱり「大量生産」できない。
わが国で独自進化した、「和紙」は、ちゃんとしたものなら千年はもつ。
驚くべきは、化学インクではなくて、「墨」を用いることで成立するから、紙と墨はセットである。
これに、筆記具としての「筆」がないと話にならないし、それなら、墨をする「硯」がないと具合が悪い。
油を燃焼させて採取したススを固めるのが膠(にかわ)だけの炭素の塊なので、硯の「目」に墨が削られてはじめて「すれる」のである。
「摺る」ために硯の表面には、こまかい凸凹がないといけない。
それが最適の自然石は、こんどは、採掘場の「地質」が問われるので、適当な石でつくればよいというわけにはいかない。
有名な山梨県の雨畑硯(あめはたすずり)は、山梨県南巨摩郡で採掘される。
ここは、本州が曲がっている「フォッサマグナ」にあたるとはいえ、よくぞ「見つけ」て坑道を掘った不思議もある。
もちろん、筆も何種類かの動物の毛をつかうから、いい字を書くにはいい筆がいる。
奈良や京の都人たちは、ものすごく複雑な経路でできた道具を使っていたことになる。
ましてや、世界に類例がない『万葉集』に投稿したふつうのひとたちは、どうやって字を学んで歌を詠んだのか?
平安貴族が習得した教養も、どうしていたのか?という不思議があるけど、もっと前の万葉人の教養習得方法は想像もつかない。
言文一致は、明治のことだ。
口語と文語、残っているのはみな「文語」である。
いったいどんな会話をしていたのか?
ここに、「口伝」の出番がやってくる。
口伝えに、物語を継承するという方法は、口語の時代変化に対応するので、解読が必要となる「文書」とちがって、内容は意外と正確に伝授されることはわかっている。
ロゼッタストーンがみつからなければ、古代エジプトの象形文字を解読することはできなかった。
いかに、シャンポリオンという天才がいても、である。
なので、世界には、いまだに解読できていない「文字」は多数ある。
わが国の「カタカムナ」もそのひとつ、という主張がある。
古事記、日本書紀よりもはるかに古い時代のものだともいわれているが、よくわからない。
わかっているのは、昔の日本人がそんなに「野蛮」ではないことである。
むしろよほど「いま」の方が野蛮だ。
「法」を犯すのが、行政になった。
たとえば、根拠法がないのに、20時過ぎの営業を取り締まる。
飲食店にも警察官がやってくるけど、風俗店には機動隊がやってくる。
知事の権限がそうさせるのだ。
アメリカでもヨーロッパでも、政府のえらいひとたちが住民から糾弾されている。
これに、わが国も加わる「べき」となったのは、恥ず「べき」ことなのではあるけれど、それが、「欧米化」の顛末なのである。
もっといえば、グローバリズムの浅はかさ、である。
わが国の「伝統回帰」をいう「保守」が途絶えた。
ならばといって、政府からの「自由」をいう「自由主義」もない。
前者は、「歴史」で、後者は「輸入思想」である。
自国の歴史を殺めると、とんでもないことになるという「歴史」もある。
これらを、ぜんぶ「たにんごと」としてこれたのは、自国の歴史をしっていたからだ。
ところが、自国の歴史を忘れてしまった。
正しい、「本」がまるで「焚書」され、これを語る学者が「坑儒」されたからでもある。
その数、7000冊。
この7000冊の「リスト」とは、ひとつの国家=国民=生活を、おとしめるための、悪意をもった研究成果なのであって、これをすべて焚書処分した「政策」の根本になっている。
この意味で、学術が政治利用されたともいえるから、なにも原子力兵器を開発した「マンハッタン計画」だけではない。
すると、現代日本人にとってのグレート・ブックス・コースとは、焚書の再読ということになる。