豆腐だ大好きだ.いつからだろうと想いをめぐらせても,はっきりとはわからない.自分の記憶があいまいな例のひとつだ.子どものころは,なにもかんがえずに食べていたし,大人になってもそんなに積極的だったわけではない.あれれ,いつから豆腐が大好きになったのか?やっぱりわからない.
一丁48円も380円もある
スーパーで売っている一丁48円の豆腐は、手が伸びない。どうやって固めているのか、少々不安があるからだ。さいきんは、「ケミカル・クッキング」という言葉がある。ケミカルとは「化学」のことだ。もともと、料理は「科学」的であるから、『キッチン・サイエンス』(共立出版2008年)という名著もある。しかし、料理や食品のはなしを「ケミカル」にしぼり込むと、なんともいえない不気味さをかんじる。
YouTubeで、「ケミカル・クッキング」を検索すると、白衣を着たひとがさまざまな薬品瓶の前に立っていて、これから「料理」をつくる動画がみつかる。これらの薬品は,どれも厚生労働省の認可があるから「食品」に混ぜてよいそうだ.ところが,こうした薬品がはいった食品を食べ続けるとどうなるか?は,だれも経験したことがないから本当はわからない.わからないのに「認可」する役所は,相応に少ない量での使用を想定している.ただし,それが何年も積み重なるとどうなるかはわからない.
豆腐は日本人にとっては「しごくふつう」の食品であった.大豆と水とにがりが三大原料である.これを,ケミカルで考えれば,「にがり」がいじりたくなるだろう.要するに,「薄い豆乳が」固まればよいのだ.何年か前には,ハワイで豆腐ブームがあったと聞く.日本の伝統的な作り方を守った豆腐は,日本からの観光客がよろこんで購入したそうだ.厚生労働省の統計では,1960年のピーク時には5万1596軒あったというから,いまのコンビニの数に匹敵する.それが,2015年に75百軒にまで減ってしまった.現在ではもっと減っているだろうから,往年の15%以下になっているはずだ.
この減った数を年数で平均すると,約800軒/年になるから,旅館の減り方に似ている.しかし,旅館が約千軒/年だから、深刻さは旅館の方にあるかもしれない.
旅館の数が減るのと反比例して増えたのは,ビジネスホテルである.こちらは大手がチェーン化して,いまではどの街に行っても同じデザインのホテルがある.顧客になると,さまざまな特典がつくから,どこに行こうが同じホテルに泊まるというひとも増えただろう.
豆腐屋の方も,大手が工場を自動化して,数社の大手が2割以上のシェアを握るようになってきた.これには,製造のこと以外に,大手スーパーの意向という流通の都合があるだろう.地元の小さなスーパーでも,大手メーカーの豆腐しかなく,地元豆腐店の商品をみることはほとんどない.
宿泊業も,豆腐屋も,「コモディティ化」の流れがはげしい.
「こだわり化」という「専門化」しかない
いま残っている豆腐屋で,跡継ぎが決まっているかもう代替わりしたという店は,ビジネスモデルがはっきりしているにちがいない.そのビジネスモデルとは,「専門化」である.簡単にいえば「旨い店」だ.原材料にこだわれば,自動的に技術力の高さの証明にもなる.「旨い豆腐」は,簡単に作れない.豆腐に惚れこんだ外国人が,名人がいる豆腐屋に修行にきて四苦八苦するTV番組もある.
こうした正統派の店は,けっして「ケミカル」な商品をつくっていない.素人には簡単に作れないから,外国人は逃げ帰らないどころか,ビザが切れて一時帰国してもまたやってくる.豆腐の本当の価値を知っているのは外国人である,という皮肉な番組だ.それは,コモディティ化した「豆腐のような食べ物」を「豆腐」と信じる日本人への当てつけになっているからだ.
それでは,どうやって旅館は「専門化」しようか?それには,まず,なにに対しての専門化なのかを決めなければならない.意外に難しいもんだいなのだ.これは,裏返せば,お客様はどんな価値を求めているのか?ということになる.