鉄のカーテンの向こう側は,われわれ西側の価値観とはちがうことがおきていた.
それが,コーヒーに象徴される.
ソ連の衛星国たちは,南米の社会主義政権とも「兄弟」だった.
だから,上質なレギュラーコーヒーが入手できた.
いまさらに,旧東側のひとたちのコーヒーに関する「味覚」は,一日の長があるとおもわれる.
ところが,このひとたちには,西側のインスタントコーヒーが入手できない.
なかでも,フリーズドライ製法のインスタントコーヒーは,「不正」でもしなければ手にすることは不可能だった.
なにしろ,まずは「ドル」がなければならない.
旧東側の住人が,どうやったら「ドル」を持てるのか?
特別な許可を受けた人しか行くことのできない,西側への「出張」しかなかった.
出張許可を得た人が,制限付きで自国通貨をドルに交換できたのだ.
だから,一般庶民には,一生ありえないようなことだった.
いったん西側へ出張したひとのおおくは,スーツケースにインスタントコヒーを詰め込んで帰国したという.
重量の軽さと,かさばりかたがちょうど良かったらしい.
一本ずつが,たいそうなお土産になった.
お湯を注ぐだけで,豊かな味と香りのコーヒーができあがる.
まさに,CMどおりのはなしなのだが,これがおそろしく高度な技術にみえたという.
「さすが西側はちがう」
「コーヒーをいちいち落として淹れている我々は原始人だ」
このときの記憶が,いまだに重要なプレゼントでインスタントコーヒーが高級品として認識されている理由だという.
ふつうの生活では入手できっこない「外貨でしか買えない」という思いである.
だから,ギフトショップにインスタントコーヒーは欠かせない.
ところが,自由化後に生まれた世代には通じない.
鼻で笑われるという.
これが,社会主義時代を生きたひとたちにはしゃくに障るというから,みごとな世代間ギャップをつくっている.
東ヨーロッパの広くは,かつてオスマントルコの支配下だった.
このひとたちの記憶には,トルコへの恐怖ともいえる複雑なおもいが混じっている.
だが,ヨーロッパにコーヒーを伝えたのも,そのトルコである.
大バッハは,コーヒーカンタータを書いた.
モーツァルトも,ベートーベンも,トルコ行進曲を書いた.
当時のトルコは,世界帝国だった.
コーヒーはみな,トルココーヒーだったろう.
細かく挽いた豆をちいさなカップに入れ,そこに湯を注いで上澄み液をのむ.
欲張ると,口の中にコーヒーが侵入してきて気持ち悪い.
いまでは,トルコとアラブ世界での飲み方である.
日本人にはできないが,飲み終えたコーヒーカップはシガレットの火消しにする.
西側資本がしっかりはいった東側は,さいきんの英国発祥のコーヒーショップチェーンで席巻されている.
日本人の目からは,まるで日本の全国的コーヒーショップチェーンにそっくりだから,おそらく地球を半周以上してパクられたのだろう.
そのうち,日本が真似ていると思われるかもしれない.
日本の店舗経営は,国内にいつまで閉じこもっているのだろうか?