むかしからスイスの物価は高くて有名だった。
いろんな事情があるけれど、食べてみてわかるのは、「高くてまずいパン」だった。
日本と似た値段の割に美味かったのは、ビールだったから記憶に残っている。
日本のターミナル駅ならほぼ見つけることができる「駅蕎麦」と同様なのが、「サンドイッチ・スタンド」だ。
40年前でも,これにコーラをつけたら1000円近くして驚いたものだけど、いまの日本でも「セットメニュー」と駅構内コーヒースタンドで食後のコーヒーを飲めば1000円ぐらいになる。
永世中立をうたっていた当時も、「防衛上」の用意周到から、食糧の保存が義務付けられていた。
だから、今年の収穫分は2年間保存しないと行けないために、3年目になって放出される小麦でしかパンを焼けなかったのである。
建築基準法でも、家を新築するときには「核シェルター」設置が義務化されていた。
それで、もっとも高価な設備が、外気を浄化する装置だと聞いた。
地上で核爆発があっても、シェルター内の空気を汚染させないためである。
ジュネーブからイタリア・ミラノに向かう国際列車は、何度もアルプスのトンネルを通過する。
その谷間ごとに空港があるけれど、どこにも駐機している飛行機が見えない。
よく眺めると、滑走路が山に突き当たっていた。
まるで『ウルトラセブン』の基地のように、山をくり抜いて格納庫にしているのだった。
なるほど、あのヒトラーの最強ドイツ軍をして、1ミリもスイス国境を越えることができなかった理由がわかる。
『サウンドオブミュージック』の緊張感のある逃亡シーンが、妙にリアルに思い出されたものだった。
目に見える地面のすぐ先が「国境」だという概念は、やっぱり日本人には分かりにくい。
日本でも購入できる、「ユーレイルパス」は、スイス国鉄でも有効だ。
しかし、肝心の観光地に向かうのに使う「登山電車」やらの交通機関は別料金になっている。
40年前でも、ユングフラウの麓にあるグリンデルワルド村に滞在しようと思ったら、この電車に乗らないと行けない。
たとえレンタカーを使っても、途中の駐車場で電車に乗り換えないと行けないのである。
この方式は、グリンデルワルド村と姉妹提携した、上高地がある長野県安曇村(現松本市)が採用した。
上高地の場合は、鉄道ではなくて乗合バスかタクシーに乗り換えないと行けないのである。
これを「マイカー規制」と呼んでいるが、「本場」の規制はもっと厳しい。
村人ですら、電気自動車でないと村内移動ができないのである。
40年以上も前から、電気自動車を買わないと生活できない規制を住民投票で決めたのである。
当時、電気自動車は一体いくらしたのか?という前に、なんと村人が自作した電気自動車が「共通規格」になったのだ。
なんと素晴らしい「環境保護意識」だろう!
と思っては間違いだ。
スイスの観光地の村人は、「稼ぐため」に特化して考えを巡らしたのである。
つまるところ、究極の「略奪方法」の考案に努力した。
そこに美しい山や湖がある。
これを一目観たいという観光客が世界中からやってくるので、お金をたくさん払える人たちを優先して「客」とみなしたのである。
それ以外は客ではないという決心は、マーケティングによっている。
開通までに25年を要した、ユングフラウ・ヨッホまでの登山電車の運賃は、40年前でも1万円を超えていた。
ヨーロッパ中の国鉄に1カ月間乗り放題のユーレイルパスが5万円だった時代である。
なぜに登山電車の運賃がかくも高価なのか?は、簡単な理由で、入山ならぬ「入村」する人たちを振り分けるためなのだ。
それでもやってきた人に、残念な思いをさせないために住民もコストを負担した。
そうやったら、「意識高い系」の人ばかりが客になったので、住民たちのコストは簡単に回収できるようにもなった。
素晴らしい景観の山小屋のテラスで提供される決して「うまい」とはいえない料理でも、飲み物を含めたらかんたんに1万円程度になるけれど、これを「高い」といって文句をいうひとはいない。
ちゃんとした食器で提供されて、それを洗浄した排水はヘリコプターでタンクごと運んでいる。
こうしたコストを、観光客の方がよろこんで負担しているからである。
さらに、「山小屋」だけでなく、「村内」にある宿泊施設も、基本的にぜんぶが「村営」なのである。
日本的「村営」ではなくて、村人たち全員が出資した会社の経営による。
だから、税金も投入する日本的「第三セクター」ではない、れっきとした「株式会社=完全民営」なのだ。
社長には村長がなる、というのは「偶然」で、村人総会=株主総会をもって社長を選出するから、利益が出せないなら村長が社長でも容赦なく解任されるのである。
村長を解任させられるのではなくて、あくまでも社長の方だ。
つまり、行政の長と経営上の長とを住民が分けている。
それだから、遠目に山が見える、たとえば国鉄と登山電車の乗り換え駅には、大型ホテルがあって、「入村料金」を払えない観光客は、ここまでをもってユングフラウに行ったことにするのである。
そのための「お土産」もふんだんに販売されていて、「行ったつもり」になれるようになっている。
いまやスイスと日本の所得差は、ざっと3倍にまでなった。
スイスでは、ペットボトルの水が1本500円ほどになる。
なので、ふつうの昼食が、一人前で5,000円程度にもなっている。
ホテルの宿泊代も、1泊5〜6万円が「相場」なのだ。
日本に住む日本人と、スイス人だってそんなに変わらない生活をしている、というけれど、日本に住む日本人がおいそれとスイスに行って、日本とおなじレベルを維持しようとしたら、目が飛び出すほどの出費を覚悟しないといけなくなった。
当時から「高い物価」だとわかったのは、周辺国との比較でだった。
スイスだけの滞在ならば、あんがいがいと日本と変わらなかった。
40年前にスイスに行ってよかったと、今更ながら思うのは、なんとも残念な話なのである。
けれどもそこには、日本の失敗の理由とスイスの成功の理由の「分岐点」が、はっきりしている。
「ビジネス」としての感覚が、甘いか辛いかの差なのであった。