「緊急事態宣言」は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の附則の改正が今年3月13日に成立し、翌14日に施行されたことを根拠としている。対象となる病気に、「新型コロナウイルス感染症」を加えるという方法だ。
注意したいのは、法に加えた「新型コロナウイルス感染症」とは、今年1月に、中華人民共和国から世界保健機関に対して、人に伝染する能力を有することが新たに報告されたものに「限る」と明記されている点である。
いわゆる「武漢風邪」のことに限定しているのだ。
だから、総理が、「解除」にあたって、今回の感染症の発生が「中国である」と言明するのは、いまさらだが最初から法律に書いてあることを言っているにすぎないので、どうしてニュースになるのか?とおもう。
逆に、今後、別のコロナウィルスなどによる感染症が拡大した場合には、ふたたび法律の附則に加えるか、別の法律をつくる必要もあるのだ。
だから、今回のウィルスの「変異」ならまだしも、ご新規だと大変だ。
それに、法律で「緊急事態」の期間も2年と限定していることは、国民として覚えておきたい。
首相が緊急事態宣言を発令すると、都道府県知事に権限がおおきく委譲されるのだが、市民に対しては「要請」であって「命令」ではない。がんばっても、「指示」までであって罰則はない。
ちなみに、首相は国会に「発令」を報告することになっているので、国会を軽視してはいない建て付けにもなっている。
強制を伴う「命令」にすべきだ、という意見をいう「市民」がいるのは承知しているが、そんなにお上から命じられたいのか?わたしには理解できない。
欧米諸国で、あんがい「命令」になっているのは、「自粛」ということができないひとたちが多数だからで、「要請」だけで「自粛」できるわが国民に必要とはおもえないからである。
しかし、このブログで何度も書いたとおり、そもそもの「根拠」が希薄ななかでの「政治判断」として、「緊急事態宣言」がでてしまったので、解除に当たっての基準も、発令のさいしょから設定されていないし、とうとう最後まで不明のままだった。
これが「日本的情緒の世界」といえば美しいが、ほんとうにかつての「世界の工場」で、いまだ「科学技術大国」とはおもえない、論理ではなく感情が支配する、一歩まちがうと恐ろしい社会に変身できる要素を多分にもっていることがわかったのである。
その証拠が、知事たちに委譲された権限が、「解除」になっても惰性で止まらないことを不思議にも、おかしいとも思わないことである。
わかりやすいのは、東京都の「新型コロナウイルスを乗り越えるためのロードマップ」というものである。
あたかも、「命じる」という態度で書かれていることも不思議である。
これを作成したひとは、きっと有り余る善意にあふれて、暴走してしまったのだろう。
こんなことをする、権限が「解除」になったことに気がつかない。
すなわち、法的根拠をうしなった「ロードマップ」なる「命令書」が、自粛中の権限に溺れた慢心から、実験台の薬品がとんでもない化学反応をおこしたともいえる。
まるで、『妖怪人間ベム』の誕生のようなのだ。
にもかかわらず、都議会が「待った」をかけないのだから、都民には絶望的であろう。
わたしは神奈川県民だから関係ない、にならないのは、仕事先のおおくが東京にあるからで、はたして都民でないわたしにもおおいに関係があるのである。
かくいう神奈川県も、へんなことをHPで発表している。
たとえば、「緊急事態宣言解除後の施設管理者への新たな要請内容」というものである。
市民に要請するのではなく、「解除」した国に文句をいって欲しい。
自分に与えられた権限が、「解除まで」という期限付きなのに、無期限であると勘違いするのは、滑稽を通り越してブラックジョークにもならない。
まさに、越権行為そのもので、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に違反するばかりか、憲法にも違反する。
毎年の晩秋からはじまるだろう、インフルエンザの流行に、まさかの「自粛要請」をだすことを「あたらしい日常」とか言うなよ、といっておきたい。
これは、まさに古来から日本人の精神だから、だれも言わないのかもしれない。
たとえば、結婚式での「誓い」に、神道とキリスト教式で、決定的ちがいがある。
神道の式中に新郎が読み上げる「誓詞」には、夫婦の契りは「未来永劫」なのに対して、キリスト教では、「死が二人を分かつまで」となっている。
日本人は「永久の愛」を、キリスト教の結婚契約は、「いつまで」というおしまいがあるのである。
イスラム教には、結婚予約契約という、「結納」の儀式もあるけれど、「いつまで」というのはキリスト教とおなじだ。
そんなわけで、なんの根拠かもわからないものが「解除」になって、法的に根拠があった「要請」の法的根拠もなくなったけど、市民に命じる「ごっこ」に自己陶酔した知事たちが、無粋にもダラダラとやめることをしない。
これをいさめる議会も議員もひとりもいない。
もちろん、財界人もいないのである。
言論人でもいないから、ついうっかり言いたくなった。