新内閣の国内向け政策の目玉は二つ。
一つは、いまさらだけど「行革」で、鳴り物入りの大臣スライド人事があった。
これと連携していると思われたのが、二つ目の「デジタル庁」の設置だった。
ときに、河野氏は総務相経験者の管総理に匹敵するほど「放送法」に詳しいとの噂があって、もしや「行革の一環」に総務省をターゲットにしているかも、という期待はある。
それが、テレビ局の報道が「日和っている原因」なら、なおさらだ。
ところが、デジタル庁のお仕事の最初が、マイナンバー・カードと銀行口座の連携だというから驚いた。
ぜんぜん普及しないマイナンバー・カードを、さらに国民から嫌われる努力をしたいのか?なんなのか?
だれが好んで、政府に自分の銀行口座を教えるものか?
戸籍がないアメリカ合衆国には、国民に割り振った社会保障番号はあるけれど、これを本人の銀行口座とリンクする政策などかんがえられない。
なるほど、幹事長がいう、国賓としてまだ呼びたい国と「価値観を共有」している理由か。
個人情報保護を民間に強要しながら、政府ならこっそり使っていいとかんがえているらしい。
まことに、ご都合主義のダブル・シンキングである。
「電子政府」という言葉だけが独り歩きしているけれど、ぜんぜん電子化なんて進んでいない。
そのための「行革」とセットだと思わせたのは、河野氏の役所内「印鑑廃止」要請があったからである。
個人や法人の書類申請で、電子化が進まない理由はなにか?
それは、役所の窓口における下級官吏たちにも「裁量」があるからである。
さらに、申請の業務フローを「図」にもしていないから、自動化の設計ができないのだろう。
だから、どんなに優秀なシステム・エンジニアを呼んできても、プログラムが書けないのだ。
でも、業務フロー図を描くのは大変だし、ふだんの業務を中断してまでやる気がない。
それで、「調査予算」だけをつかって、何もしないのだ。
優先順位の思想がちがう、ということの具現化した姿である。
世界で電子政府がもっとも進んでいるのは、バルト三国といわれている。
ここは、旧ソ連だ。
30年前、政府が優先だった思想が、国民が優先に転換したからできた。
わが国にもいい事例があった。
70年代の東京・中野区である。
半世紀も前、この区の区長は、区役所の業務改革にあたって、なぜ区役所の窓口に住民がやってくるのか?から職員にかんがえさせたのだ。
こたえは、中野区に住民がいるから、である。
それで、住民の側からの区役所に行かないといけない理由を、洗いざらいにリスト化した。
そして、1階の戸籍係にあった1番から4番までといった複数の窓口を、ぜんぶ「1番」にして、1番窓口を4カ所つくったのだ。
こうすることで、待ち時間を当時としては画期的に短縮化した。
しかし、これには仕掛けがあって、戸籍にかかわる本人の関係書類(たとえば印鑑証明とか)を、一つのファイルにまとめて、このファイルの検索システムを導入したのである。
従来は、1番が戸籍、2番が印鑑証明という具合に、役所の係の都合で窓口ができていた。
これを、住民の都合に合わせたのである。
全国の自治体から見学者が出張にやってきて、感心して帰るのだが、ぜんぜん全国に普及しなかった。
あまりの画期的方法による、ひと余りが心配されて、従来の不効率が役人のためになると、かえって確認されてしまったからである。
ここにも、地方議会の痴呆状態が確認できるのだけれども、高度成長期という税収増加に余裕があった時代の悲喜劇でもある。
わたしは、神奈川県の電子政府システムに登録している。
たいへん面倒な仕組みで、申請だけでなく手数料の支払いにも事前登録の手間がいる。申請先部署と県の出納とが別々の「リアル」が温存されているためであろう。
民間なら、「売上げ管理」という話が、彼らには興味もないからである。
あるのは、確実なる「入金」なのだけど、この情報が申請先部署にどうやって伝わるかまでは、利用者にはわからない。
それで、結局は申請窓口の担当者から電話がかかってきて、口頭で確認したことがある。
双方がパソコンの画面をみながら、電話で話しているのだから、なんだかなぁなのである。
だったら役所まで赴いて、紙の申請書類に書き込んで、売店で県の証紙を買った方が一度でおわる。
これが、科学技術立国の電子政府なのだ。
AIどころの話ではない。
ようは、半世紀前の全国の役所から進化のかけらも無い、ということだ。
つまるところ、どうやったら国民の便利になるか?という思想が無いのだ。
政府のためになるデジタル利用なら、ご勘弁願いたい。
この思想だと、かならず全体主義になるからである。