地方都市の中心にあって,生きのこっているデパートでも,そのおおくが青息吐息のようだ.
入店すれば,おおくが「東京の真似」をしているから,「あゝ」とおもってしまう.
東京のデパートが青息吐息だから,その「真似」をすれば悲惨になるにきまっている.
デパートがいつの間にか「リスク回避」を是として,徹底的にリスクを排除したら,利益がでなくなったのである.
「小売」をするのがデパートの真髄である.
だから,大規模小売店舗立地法という名の法律で規制もされている.
この商売で,リスクを回避した方法は,不動産業への転換を意味した.
自分で商品を仕入れて売る,という小売の原則をやめて,売り場面積を売ることにしたからである.
「リスクは回避するもの」という思想の蔓延が,大企業を中心にダイナミックな活動を阻害している.
「リスクとは利益の源泉である」ことをすっかりわすれた,異様な思想だということに気がつかない.「利益の源泉を回避する」のだから,儲かるはずがない.
自分で売らずに,他人に場所貸しして家賃をとろうという算段だから,家賃がちゃんと払える借り手でなければこまる.それで,成功している業者にばかり声かけしたら,全国どこにいってもおなじ商品やブランドばかりになった.
これを,民営化したJRが全国の主要駅ビルで展開したから,駅からちょっと歩く老舗のデパートはますますたち行かなくなったと前に書いた.
わが家では,地方都市に旅行すれば,できるだけ地元のスーパーマーケットとデパートには行くことにしている.
いわゆる「ご当地もの」の発見が,楽しいからである.
この「ご当地ものの発見」という行為が,立派な「観光」だからである.
だから,外国旅行に行ってもおなじである.
商品そのものだけでなく,売りかたや配置など,日本のスタンダードなやり方がすべてではないとよくわかる.
もちろん,外国なら「ご当地もの」ばかりだから,それは楽しい.
なによりも,生活感がはっきりとしてくる.
その中でももっとも興味深いのは,やはり食品売り場である.
これで,一般家庭の「冷蔵庫のなか」が想像できる.
近しいひとへのお土産も,珍しくておいしいものはよろこばれる.
そういったものを見つけるのは,現地でしかできないから,風光明媚な名所旧跡よりも魅力がある.
地方都市のデパ地下は,以上の意味から楽しみな場所なのだが,残念なことがふえてきた.
「ご当地もの」の貧弱である.
外国人をふくめた観光客が,全国に広がっているといわれる昨今,またまたなにを勘違いしているのか政府に依存した「誘致合戦」という「予算ぶんどり合戦」がはげしいけれど,誘致した観光客を「がっかり」させるなら,逆効果になりかねない.
これをわたしは「嫌われる努力」と呼んでいる.
英語教育に絶望的な失敗をしているわが国では,外国人=言葉の壁というパブロフの犬がでてきて,うそみたいに腰が引けるのである.
ところが,そんな自分が外国に行って,現地のスーパーマーケットやデパートで買い物に苦労などほとんどしない.
つまり,「売る気があるのか?」という感情が湧いてくるのが日本の地方デパートなのである.
たとえば,味噌醤油.
この伝統的食材は,地方色が豊富で,味のバリエーションはすばらしい.
全国共通大メーカーの商品もあっていいが,地元色が皆無の売り場はいかがなものか?
さいきんは,わが家の近所のスパーだって地方のちゃんとした味噌醤油をおいている.
だからこそ,知らない銘柄を見つける価値がある.
なにも,デパートで観光地の売店にあるようなものを売れというのではない.
地元密着を期待しているのである.だから,地元のひとが買う商品でなければ価値がない.
むかし,札幌をはじめて訪問したとき,地元の住民になった家内の友人が案内をかってでてくれた.
それで,北海道のさまざまな物産を土産にしたいといったら,「デパートが一番」といわれた.
観光客に有名なところで,道民は買い物をしない,と.
いわれてみればもっともで,横浜に生まれ住んで半世紀,市内観光地の売店でなにかを買った記憶がない.
品質と価格のリーズナブルさは,なるほど地元民を相手にするデパートがもっとも信頼できるものだ.
それ以来,札幌に行ったらかならずデパートに行く.
ところが,さいきん,地方都市のデパートがつまらなくなっている.
「想定客とリスク」が狂うと,観光にもならない.
もったいないはなしである.