国内だけでなく外国でも「デパート」という業態が,ネット通販におされて苦戦を強いられてひさしい.
ずいぶんまえから「斜陽産業」といわれてはきたが,ここにきて国内大手が地方都市の店舗閉鎖をあいついで発表し,「不要産業」とのレッテル化がすすんでいる.
本ブログでデパートを最初に書いたのは,昨年,旅館の売店との比較を論じたときである.
「欲しいものがない」という状態を共通とした.
それは,デパートが自分で商品を仕入れることを忘れて,売り場面積を売るという不動産業化した時点で,「デパート」というカンバンを自分たちで降ろしたことにはじまる.
これに,「消化仕入れ」という日本ローカルの商慣習が,デパートを仕入れ先支配の構図において,一方的有利な「商売」を可能にしたから,ちゃんとした競争にさらされなかった.
一時期,有利だと誰もが信じた商習慣が,市場の実態から遠ざかる原因となって,真綿のようにじっくりとやさしく時間をかけて首をしめつけられれば,確実に死ぬ,というおそろしさである.
まさに「ゆでがえる」.
デパートの凋落は,他業界の経営者に,大変貴重な教訓をあたえてくれるものだ.
国内大手の縮小均衡がどこまで続くのか?をかんがえると,意外な意思表明をしているのは最大手の「三越・伊勢丹」である.
他社が,従来のやりかたのまま縮小をつづけているのに対して,自社仕入れを増やす,という方針をあきらかにしているからだ.
これは、買い物客として期待したい.
そこで,「再生」という視点でもかんがえてみたい.
「万年赤字」という状態は,市場から遠ざかったことを意味する.
だから,経営理念というその企業の存在理由(最上位概念)にさかのぼって再考するのが「再生」のセオリーである.
なんのために百貨店は存在するのか?
生活者の豊かな生活を実現するための,物質面からの支援であったはずだ.
だから,ものがない時代,自動的にデパートは繁栄した.
それから,人々の所得がふえると,より質の高いものを「高価」という代償を負担して追求するひとと,コモディティ化した物品ですませるひととに分化して,圧倒的有利にたったのが総合スーパーだった.
ところが,高品質のものも,コモディティ化した物品も,その範囲が拡大して,ものがあふれる時代になると,「選択」という手段がとれるようになって,さらに,生活時間の拡大から,コンビニが成隆する.
ものだけでなく,時間も選択できるようになった.
そして,ネット通販という究極があらわれた.
物理的な商品展示スペースを必要とせず,あらゆるものが揃うようになったのだ.
しかし,ここにきて,その巨人であるアマゾン.コムが,リアル店舗を開店させている.
これはどういうことか?
リアル店舗での買い物とは,ネット注文である.
だから,リアルなこの空間は,人気商品の展示場なのだ.
その「人気商品」とは,ネット販売におけるデータから分析されたものだろう.
訪れた客は,現物をみて納得できれば「ポチッと」スマホから購入する.
すると,あらためて既存デパートの「自社仕入れ」とは,どうするのか?気になるところである.
もしかすると,階毎にちがう売り場になっている概念から変えるのか?
根本的見直しなら,そんなことが起きてもおかしくはない.
むしろ,生活シーンにあわせた高品質な提案があっていい.
もっとも,大型雑貨店という業態もすっかり定着しているから,その困難さをおもうとデパートの苦難はつづくだろう.
身も蓋もないはなしだが,わが家には思わぬ金額のデパート商品券があることに気づいた.
デパートがなくならないうちに,なにかと交換しなければとおもいついた.
それで,家内と何年かぶりにデパートに出かけた.
お目当てはハンディーなコーヒー・ミルである.
旅先や出張先の部屋で,くつろぎながらお気に入りのコーヒーを飲みたい,というのが当面の一致した要望だったからである.
それで,当然にネット検索し,事前知識をもって出かけたのである.
電車賃を払って,横浜を代表するデパートに向かった.
生活雑貨フロアーは,面積は広大だが種類がどこまでのバリエーションなのか?
たどり着いたコーナーには,5,6種類のコーヒー・ミルがあって,そのうちハンディーなタイプは2種類だった.
たったこれだけ?
事前知識が崩壊する.
もしかして他の場所にもあるかもしれないと,係のひとに聞いてみると,やはりこのコーナーだけだった.
結局,大型雑貨店に足が向いた.
エスカレーターからいきなり目に飛び込んだのは,ハンディーなコーヒー・ミルの納得の品揃えだった.
ここでは,デパート商品券がつかえない.しかたなく,現金での購入だ.
我が家のデパート商品券は,デパートという業態があるうちにつかいきれるのだろうか?
家内は,地下の食品売り場でつかう手があると冷静だった.
口に入るものではない.
なにかいいものはないのか?
デパートのバイヤーにエールを送りたい.