ふつうに「おカネ」と呼んでいるものは、いまではもっぱら、紙と金属でできている。
紙だから「紙幣」だし、金属だから「硬貨」ともいう。
大むかし、たとえば、『原始人ギャートルズ』だと、巨大な平たい石に穴をあけたものを、通貨としている絵があった。
どうやって彫ったとか、どうやって持ち運ぶのかは深く追求しないのが、マンガのマンガたるゆえんだ。
それで、貝殻を使うこともあったろうけど、海の人には珍しくないけど、山の人には珍しかろう。
なんだか、海幸彦(兄)と山幸彦(弟)の話に近づく。
さいきんでは、旧約聖書の「ヤコブの嫁取り」や、「カインとアベル」の話との関連で、日本の皇室の祖は古代イスラエルのなかのエフライム族?といった説に説得力がでてきている。
ややこしいのは、日本は島国だから、日本人はみな「魚食い」なのだということのウソである。
冷凍ばかりか冷蔵もなかったちょっと前まで、山間部のひとたちはめったに魚を食べることはできなかったし、いまの漁港をみればわかるように、少しでも内陸ならば、もう海に出て漁もできない。
日本の沿岸部は、早くから「漁の権利」が確定していたからである。
なので、交通が徒歩圏で成立していた時代に、行商の魚屋すら来ない地域の方が多かったのである。
それでもって、ウサギや鳥を食べて、動物性タンパク質を摂っていた。
ただし、そんな高価で貴重なものを食べずとも病気にならなかったのは、玄米と豆にタンパク質があるからだった。
ついでに書けば、酒粕にはタンパク質が豊富にあって、しかもこのタンパク質は消化吸収されにくい、水溶性食物繊維と似た働きをする。
なので、昔のひとが酒粕を食べていたのは、ただ貧乏だったからだけが理由ではない。
奈良県橿原市今井の歴史的建造物保存地区にある豪商の家には、「千両箱」があって、これを持ち上げる体験ができた。
頑丈にできた木箱の空き箱でさえ、4㎏はゆうにある。
これに、「金の板」が1000枚も入ったら、20㎏にはなるから、人間がとても片手で抱えられるものではない。
また、江戸も初期のころは、小判も大ぶりでぶ厚かった。
当然に、金の含有率も高かったので、ぜんぶで20㎏では済まないかもしれない。
徳川家康が、佐渡やらどこやら、鉱山開発に熱心だったのは、産出する鉱物に価値があったからで、なかでも金鉱山は別格だった。
出てきた金を貨幣にすれば、通貨発行の利益(額面と原価の差)は幕府のものとなる。
それで、財政難になる後世、金の含有率をどんどん下げたらインフレになった。
商人たちは、ちゃんと含有量を計ってその価値を把握していた。
そうでなければ、大損してお店(たな)は潰れるからである。
上述の、今井町の豪商の経営が傾いたのは、「大名貸の踏み倒し」だと説明してくれたけど、踏み倒した大名の方が潰れたのが歴史である。
どんな商人も、踏み倒した大名家には二度と貸し出さない。
最大の無形資産、「信用」を失ったからである。
この街の商売がダメになったのは、明治政府によるほとんど「掠奪」があったからだ。
この事実を説明しないのは、現代の政府もその延長にあっておなじなので、忖度しているのかと疑うのである。
そんなわけで、通貨とは、そのときのひとたちが「これは通貨だ」と認知したら、とたんに「通貨になる」という性格をもっている。
70年代の終わりから80年代の初め頃、いまの東ヨーロッパがソ連圏であった最後の時代、タバコの「ケント(KENT)」がこれら地域の共通通貨になったことがあった。
当時エジプトにいたわたしからすれば、まことに不思議な現象だったが、エジプトから当概地への旅行には、スーツケースにケントを詰めて持ち込むのが流行ったので覚えている。
「マールボロ」でも「セブンスター」でもない、なぜか「ケント」に限った現象だったのである。
ちなみに、日本の「セブンスター」(「マイルドセブン」ではない)は、カイロの街角にあるキオスクで、ふつうに売っていた。
「ケント」でも、もっとも価値があったのは、ワンカートンそのまま封が切られていないもので、かなりの価値で東ヨーロッパでは通用したという。
政府に信用がおけなくなって、物資が不足すると、このような現象が発生する。
この意味で、東欧圏のひとたちの、自由経済や貨幣についての認識は、我々よりもずっと敏感なのだ。
だから、今後、トイレットペーパーが一巻きとか、切り取って何センチとかで通貨になる可能性がある。
サバの缶詰が適当かとおもっていたら、もう品不足で手に入らない側にいってしまった。
ならば、ツナ缶も候補か?
いや、なんでもいいといいながら、なにかのきっかけで特定物が通貨になるので、それがなにかはまだわからない。
しかし、いまの日本政府の壊れ方は過去にないスピードなので、いつどうなるのかをかんがえておくべきだろう。
石油ショックという危機の時代に、「経済の福田」という看板で、ようやく射止めた首相の座にありながら、イヤイヤで初の「赤字国債」を発行したのが、福田赳夫政権だった。
当時中学生だったので、社会の授業で先生が「国債の免税が有利」だといったのに、誰も買わない常識が国民にあった。
それでも、トイレットペーパーをスーパーで奪い合う光景は、いまでは滑稽にみえるかもしれないけれど、コロナのときには、ティッシュペーパーがちゃんと店から消えた。
マスクに至っては、70年代の主婦を嗤えない。
福田赳夫がつくった名言のひとつは、「狂乱物価」。
なんだか、日本の凋落と、トイレットペーパーとかティッシュペーパーが関連するのである。
つぎはこれらが、通貨になって君臨するかもしれない。