1977年(昭和52年)の、いまは亡き西城秀樹のヒット曲が、『ブーメラン・ストリート』(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)で、小学生が「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」と口ずさんでいた。
いまはやりの「ブーメラン」は、ひょっとしてこの歌があったお陰ではないかと思うほどだ。
かくいうわたしも、プラスチック製のブーメランを買ってもらって、公園やら野原の空き地で友人たちと投げていたけど、ぜんぜん戻ってこなかった。
「おとな用」のブーメランを売っているのもみたけれど、それはもう購入意欲をなくすほどの高価だった。
いまからしたら、アボリジニの民具を輸入した「本物」だったにちがいないけど、あれを本当に購入して飛ばしているおとなをみたことはなかった。
投げたブーメランが戻ってくる仕組みは、あんがいとややこしくて、回転運動と歳差運動がトルクに影響している。
経験値から作っていたのだろうけど、どんなに工夫を重ねたものか?
それが、「もの」から「比喩」に変化して、「自業自得」をいう言葉になったのである。
そんなわけで、西城秀樹の歌にも、三木たかしが仕込んだ「深い意味」があったけど、「軽い」という意味での「ポップ」な曲だから、歌詞を読み込むひともいなくなって、それがまた、「大ブーメラン」になって日本人に返ってきているともいえる。
「歌」は、はじめに歌詞があって、それから曲がつくものだ。
だから、作詞家の名前の後に作曲家の名前がくる。
作曲家は、歌詞の意味と発音、とくにイントネーションをかんがえないと、意味不明の歌になってしまう。
「森の熊さん」が、「森の隈さん」になったら、なんだかわからないのに、「くま」のイントネーションのちがいがわからなくなって久しい。
言葉は耳から入る「音」で覚えるものだけど、イントネーションがちがう歌で、言葉がかわってしまうこともある。
あんまりノスタルジックなことをいってもせんないけれど、この意味で昔の童謡は、一流の作詞家と一流の作曲家がコンビを組んでいて、「ただしい」日本語を覚えることができた。
しかしながら、日本語の面倒は、豊富な「方言」にあって、明治の中央集権国家に改造したとき、「標準語」も発明しないといけなくなった。
江戸の言葉が、そのまま標準語になったわけではないし、なぜか「京都弁」も採用されなかった。
学校で習って暗記させられる「和歌」だって、絶対にイントネーションは京都弁で、標準語のはずはないのに、これをいう国語教師がいない。
ネット動画で、『源氏物語』や『枕草子』を京都のイントネーションで朗読しているひとがいて、その味わいは、だんぜん納得できるものである。
生徒にとって、教師は「トップ」にあたるから、こんなことも教えてくれないことに疑問を感じる生徒もいない。
和歌を標準語のイントネーションで教えることに、教師が疑問を感じていないからだ。
ならば、その教師の教師は?と順にさかのぼれば、何代もの教師が存在するし、「学習指導要領」を書く大学教授も、疑問を感じないで「学者」になったにちがいない。
これを、『ピーターの法則』が明快に解説している。
いわゆる、「無能」の再生産の仕組みだ。
すなわち、無能が無能を作り出す。
また、無能の本人の幸せは、自分が無能であることに気づかない無能だからで、そんな無能が社会的地位を上げると、部下にも無能を選ぶのである。
そうやって、無能な部下を、永遠に叱責できるからである。
しかしてその無能な部下は、やっぱり無能な後輩を立てて、無能の連鎖を作り出す。
一方で、有能な部下は、無能な上司が便利なのだ。
適度な手抜きを期待通りに見のがすからである。
したがって、常にマイペースで仕事ができるのだ。
「あくび」がでるような仕事でも、「やっている感」を演出すれば評価される。
それがまた、『パーキンソンの法則』を生みだして、その組織はいつかは破たんする。
すると、無能も有能もなく、組織ごと吹き飛んで身も蓋もないことになるから、我慢できなくなった有能は、無能からみて反乱分子となるために、まっ先に転職を模索する。
それでもって、転職サイトに登録すると「高く買ってくれる」ようなCMがあるけれど、転職先が無能ばかりなら、元も子もないのである。
ブーメランを喰らうことになる。
だから、ほんとうに欲しい情報は、有能なひとたちで運営されているのかどうかの情報なのだけど、自分から無能ですという会社はないから、ない物ねだりになる。
こうした事情を熟知していれば、チェスタトンの『求む、有能でないひと』という募集が、どんなに魅力的なことか。
無能にはできない技なのである。