リスクを避けることが最上位の判断基準になりさがったわが国では、かんがえられないことは、利用者が発したメッセージに「反論」するようなことである。
これは、「役所」や「公共的」なサービスにおける「鉄則」にもなっていて、とにかく「問題がないこと」を最優先させるから、なにかするときも「問題がないこと」を前提とし、おわったあとにも「問題がないこと」とする。
この「臆病」ともとれるような価値観はどこからやってきたのか?
そして、「臆病」ゆえに、過剰な方法をもってじぶんたちに「問題がないこと」をとにかく主張する。
だから、利用客にとってはそれが「うざったい」こともあるが、利用者を「最大公約数」として無視することすら「問題がないこと」になるのだ。
たとえば、さいきんの首都圏のJR駅における放送で、弱者保護に対する健常者からのヘルプを要請するものがある。
いちいち目くじらをたてるのはいかがかという意見もあろうが、この「上から目線」はなんなのか?
駅構内であれば、まっさきにヘルプを業務とするのは「駅員」の方である。
すべての改札口に、係員がいるのはなんのためか?
いったい、どういう人員配置をしているのか、駅長にきいてみたい。
駅員の業務をいわずに、健常者の客に「義務のごとく」すりこむ放送をくり返すのは、いったいなにを意図しているのか?
弱者保護が面倒だといいたいのではない、主客が逆だといいたいのだ。
そんなわけで、わが国の現状では「ありえない」ことをドイツ国鉄がしでかした。
あの「環境少女グレタさん」が、国際環境会議からの帰路、ドイツ国鉄の混雑にうんざりしたというツイートを書いたものに、予約した一等席での「おもてなしに不満なのか?」とツイートで返したのである。
しかも、列車の床に座りこんでいる写真まで彼女のツイートには掲載されているけれど、この写真はだれが撮影したものか?
彼女の横には、おどろくほどたくさんの荷物が写っている。
鉄道が「エコロジー」なのか「エコノミー」なのか?ということは、こないだ「新幹線」を題材に書いた。
走行中だけ、電気をつかうから余計な排出ガスはないけれど、その電気をどうやって発電したかは問題にならないし、線路を敷設するための資源はどうなっているのか?も問われない。
まことに「環境」をかんがえることは、やっかいで、手間がかかることだが、彼女の議論にはこれがない。
残念なことに、彼女の背景にどんなひとたちがいるのかもだんだん見えてきた。
さいしょに彼女が国際舞台に登場したのは、アル・ゴア副大統領との会談だった。
かれは環境問題で、2007年にノーベル平和賞を受賞しているけれど、主著『不都合な真実』を書いていながら、自宅における電気代が月間30万円ともいう贅を尽くした不都合な生活をしていることで批判されたことでもしられる。
国際的な環境保護組織も、彼女の活動をささえていることでしられはじめた。
ある評論家は、これは、沖縄における基地問題にも関与する組織であると発言している。
そういえば、世界最大の温暖化ガス排出国である大陸の国になると、彼女の舌鋒はがぜん鋭さをゆるめるどころか、発言は皆無になる。
それは、背景の組織が「党」と関係があるからだという指摘まである。
これはいったいどういうことなのか?
いまになって、急速に「離中」政策をとりだしたのは、「親中」べったりだったドイツである。
発電方法を一気に変更したら、変更前から数倍の電気代になった。
さいきん、とうとうドイツの経済成長はマイナスを記録している。
いわば、「環境疲れ」をしているのがドイツなのである。
彼女を援護するひとたちも、「一等車」への乗車には辟易しているようだ。
けれども、写真にあるようなすさまじい荷物があるなら、予約なしで「二等車」に乗られても迷惑だ。
そんなわけで、一等車に乗っているのに床に座りこんであたかも「たいへん」だという姑息な芝居が、予想外の反響をうんでしまったようだ。
ヨーロッパはあいかわらずの身分社会だから、じつは平民が一等車に乗ることがはばかれる習慣がある。
そんなことから、この少女が一等車に乗りながら「環境」をいうことが、アル・ゴア氏の生活とダブるのである。
しかし、ドイツ国鉄のつぶやき返しがなかったら、一等車だとわからなかったから、これに返した彼女のつぶやきはしどろもどろである。
みせたくないものをみられてしまった、というよりも、じぶんで墓穴を掘ってしまったのだ。
それでかはしらないが、突然、香港の市民支持をいいだして、すぐさま政府が反論している。
「やらせ」でないことを期待したいが、女の子を利用しようとするおとなたちがいることだけは確かなようだ。
日本では、もうこんな逸話もおきそうにない。
いつもよそいきの、気取った態度で、いつでもどこでも「いいこでいたい」。
それが、もっとも「無難」だからである。
でも、どこかで「お里がしれる」ものなのだ。