昨年、世界シェアでトップだからおなじみの「インテル」さんが、あたらしい高性能CPUを開発し、これを搭載したパソコンが各社から販売されている。
性能差は、たったひと世代前とで四割以上という。
その筋では、AMD(アドバンスト・マイクロ・デバイセズ)社が巨人インテルに対抗したCPUの性能と価格が話題になったようなので、規模の大小ではない競争がおきたことが、新製品発売の原因のようだ。
つまり、消費者にはありがたいことになっている。
この手の「商品」は、進歩がはやいという常識があるが、いがいとふつうのビジネスでもちいるパソコンは、そんなに高性能である必要がない。
せいぜい、やりたいことが決まっているからで、つまりは動かしたいソフトもある程度決まっている。
もちろん、大量のデータからさまざまな解析をしたりすることをビジネスにしているひともいるけど、社内では小数派だろう。
むしろ、クリエーターというひとが道具にする画像処理には、高性能なパソコンでないと仕事にならない。
つまり、パソコンが本来の「パーソナル」に進化して、個々人にあった機種選定こそが「コスト」と「パフォーマンス」を最適にするようになったのだ。
これが「むかし」とちがうおおきな変化である。
どういうわけか、日本の電気メーカーは、「マス」(少品種・大量生産)に没頭し、ついに「多品種・少量生産」という逆転に対応できなかったのは、白物家電やテレビといった高度成長期における成功体験から抜けきれないということだと解説されている。
これは事実だ。
とある電気メーカーでは、テレビ事業部が大赤字の原因だとはっきりしているのに、社内人事ではテレビ事業部からでないと主要な地位に社内昇格できない「伝統」が、いまだに続いている。
こんな「電灯」なら切れてしまえ、という社内自虐がある。
ビジネス用のパソコンなら、大企業のリース落ち(三年もの)でも十分な性能だったから、さてパソコンを調達しようとしたばあい、最新の機種を購入する魅力に欠けていた。
しかし、冒頭の事情から、近年めずらしい技術の「壁」が出現したのである。
あたらしいCPUは「第八世代」といわれていて、それ以前の「世代」とは、「世代間格差」がだんぜんひらいた。
最新世代が「リース落ち」するには、まだ時間がかかるが、消費税は来月あがる。
これが、第一の悩みどころである。
頭脳部分のCPUが、世界でインテル社とAMD社の二社なのだし、OSも一般的には「ウィンドウズ」か「iOS」のいずれかだから、「パソコン・メーカーとは何者か?」と問えば、「ウィンドウズ陣営」に関していえば、基本的に「組立屋」のことをいう。
それにくわえて、日本のメーカー・ブランドが崩壊したので、ややこしいのだ。
かつての「国民機」をつくっていたNECも、IBMと競合した富士通も、世界初のブック型パソコンを世に出した東芝も、みんなでそろってレノボ(中国)や鴻海(台湾)傘下になってしまった。
残るのは、パナソニックと、ソニーから分社したVAIO、それにマウスコンピュータ、モニターで有名なiiyamaが「国産」となっているが、HPは「東京メイド」、レノボだって「米沢産」を強調しているのは、そこに組立工場があるからである。
そんなわけで、「選ぶ」ということをはじめると、なかなか「選べない」という核心的な悩みが出現するのは、「どれもおなじ」という大問題があるからである。
メーカーとしては「差別化」ということになるのは必然だが、CPUがおなじという「区別ができない」ことから、どうすればよいかの方向が「デザイン」に集約されることとなる。
堅牢さと軽さこれに電池の持ち時間で圧倒的なブランドを築いたのがパナソニックだ。
しかしながら、すでに技術はこの三問に解答をあたえていて、ブランドによる「高額さ」が、パナソニックに残った価値になっている。
すると、そんなに高性能でなくてもよいから、リース落ちという選択肢と、そうはいっても壁を越えた快適さを味わいたい、という欲望がせめぎあうのである。
ところで、講演をしなければならない立場にもどると、プロジェクターとの接続が問題になる。
最新のパソコンでは小数派になっているアナログ(RGB)端子は、いまだに必要なのだ。
会場によっては最新のプロジェクターが用意されているが、経営が苦しい施設では、アナログ入力しかないプロジェクターがいまだ健在だからである。
もちろん、変換アダプターを持ち歩けばいいのだが、それが面倒で、もし忘れたら一大事のリスクがある。
なぁんだ、RGB端子がある最新のパソコンがほしい、というのが結論である。
すると、こんどは一気に選択肢がなくなった。
あんなにあったのに。
さて、それで、どれにするか?
やっぱり一長一短で、難しいのである。
なんでこうなるのか?
現代の不思議のひとつである。