基礎が無い状態で、物事を押し進めるとどうなるかは、「砂上の楼閣」としてこれを戒め(いましめ)てきたものだ。
島崎藤村の『破戒』には、主人公の、出生の身分に関して誰にも言うな、という戒めを破ることでの「自己の確立」という決心を表して、住みにくい日本を捨てて、「テキサス」に移住することを決めたことが描かれている。
中学3年生の夏休み、この「課題本」をようやく読破したものの、どうして「テキサス(州)」なのかが、突如出てきて分からなかった。
幼稚なわたしの頭では、「あゝアメリカか」としかこれを理解できずに、そのまま放置してほぼ半世紀が経ったなか、昨年の大統領選挙をウオッチしていてようやくにして「その謎」が解けた。
アメリカ合衆国の歴史を知らないで生きてきた「つけ」ともいえる。
よくよく考えると、あの大戦争の主たる敵にして、敗戦の憂き目をくらい、その後は「同盟国」という言い方での「属国」になったので、実は日本人は、アメリカ合衆国を詳しく教わることもなくスルーさせられている。
もちろん、「わが国の敵」は、今の国連安保理の常任理事国(中国は除く)の4ヵ国(米、英、仏、ソ)であったし、これにオランダ(蘭)が加わる。
ただし、台湾が「中華民国」として加盟していた時までは、これら5ヵ国が「敵」であったことは言うまでもない。
国際連合とは、対日独戦争の「戦勝国」の「組合」だからである。
日本軍と一度も直接戦闘をしなかった中共が、ちゃっかりと国民党時代を「引き継い」で、あたかも反日をアッピールするのは、その「非正規性」を払拭して、「正規の組合員」だと主張したいからなのである。
それで、どうしてこれらの国と戦争をしたかといえば、米:フィリピン、英:インド、セイロン、シンガポール、マレーシア、ビルマ、仏:俗に「仏印」という、ベトナム、ラオス、カンボジア、蘭:インドネシアが、「植民地」だったからである。
これら「南方」の天然資源が欲しかったのは、列強からの「経済封鎖」を受けていたからで、戦後にマッカーサーが上院外交委員会の公聴会で、「日本の戦争目的は自衛のためだった」と証言したことの理由に当たる。
もちろん、この「証言」を常識とした教育も、報じる機関もないままだけど、その機関をマッカーサーが作った皮肉もある。
しかしながら、当時の日本国内では、経済封鎖だけが理由ではなくて、「アジアの植民地解放」という政治目的が「大義」とされていて、この両方を国民は支持したのだった。
日本人は、こうした講談調の「大義」がだいすきなのだ。
戦後から今に至るまで、おそらくしばらくは将来も、上述の「理由」は封印されて、「侵略戦争」だということになっている。
もちろん、「植民地」を保有している側からしたら「侵略者」だけれども、現地の住民からしたらそうは見えない。
それが、東条内閣で実現させた、「大東亜会議」の成功だった。
これら植民地の、「非合法政府」の代表が、東京に集結して行った、「自由と解放」の算段に合意したことの意義は、戦後の「独立」となって実現したのである。
このように、「土台」から積み上げると、戦後の言い分が突如曲がっていることに気づくから、あと1世代か2世代もして、まだ日本国が存在していたら、元の話に戻ることになるだろう。
そのためには、戦後の「洗脳」をくらった世代が、いなくならないといけない。
中国の「史書」が、王朝滅亡後100年後に編纂を開始するという伝統は、人心の落ち着きを前提とする「心理」からの「真理」なのだ。
そんなわけで、「土台」となる「真実」は、ただの「必要性」ではなくて、「前提」となるものだから、建物でいえば「土地」にあたる。
土地の上に建てることをしない建物が存在しないように、人間社会にも「土台」が必須なのである。
18日、日経新聞夕刊の「米、65歳未満「推奨せず」 ファイザー製3回目接種 FDA第三者委」という記事が、「土台がない」事例の典型なので、(歴史の証言として)保存に値する。
各国の対応が「バラバラ」な様子も、一覧表にしている。
ただし、アメリカ合衆国という国は、「合州国」でもあるので、「州知事」の判断で、180度も違う政策が行われるのだ。
マスク強制もロックダウンもしないのに患者数も率も少ない、サウスダコタ州とか、同様な政策をとるフロリダ州やテキサス州の「平穏」なことには触れないで、厳しい政策を実施したニューヨーク州やカリフォルニア州では、知事が辞任したりリコールされようとしている。
これらの規制が厳しい州の富裕層が、フロリダ州やテキサス州に「大移住」という人口移動までもが発生していることも言わないのだ。
残された他州に移住ができない人々が、「民主党支持者」とすれば、ニューヨークやカリフォルニア州の民主党の「安泰」が保障される。
これを、「アメリカの分断」といえばその通りのことになるから、コロナとは案外とではなくて端から、「政治利用」のネタになっているのである。
それでも、第三者委員会は、「データが乏しい」ことを理由に判断を留保した。
専門家の委員会として、「データ不足」は、判断留保の十分な理由になる。
「わからない」ものを「わからない」とするのが専門家の良心だ。
この点でも、わが国の専門家会議における「データ無視」と、「エビデンス無視」は、言語道断だと批難されてしかるべきである。
おそるべき「知ったかぶり」を専門家がやって、これを政治家が真似ている。
しかしながら、当のファイザー社が出した声明の方が、よほど重要なのだ。
「将来の承認に向けて引き続き追加接種データの収集を続ける」と。
これは、「今は治験中」ということの読みかえを要するけれど、重要な「土台」を言っている。
「治験中」だから、「データの収集を続ける」のは、当然といえば当然だけれど、相変わらず、「病原体としての新型コロナウィルスの存在は確認されていない」という、最重要な「土台」についての記述がない。
それに、FDA傘下のCDCが発表した、「PCR検査はインフルエンザと区別できない」も、セットで語られることがない。
つまり、「空中に浮かんだ楼閣」であって、まさに『天空の城ラピュタ』というファンタジーが、あたかも「現実」のようなことにしているのである。
果たして人類は、このファンタジーを、100年後に認識できるのか?
それとも、もっと早く、その「適当さ」からと「副反応の実態」とでの責任の所在を明らかにしようとするのか?
あの大戦争では、わが国だけで300万人が亡くなっているけれど、今回の「新薬」では、一体どのくらいのひとが亡くなるのか?も、不明なままである。
ただし、悪魔的なことを言えば、戦後の「洗脳世代の排除」が目的だとすれば、ほんのわずかな「理」はなきにしもあらず。
あくまでも、老人対応であって、子供にはいけないけれど。
時間経過が教えてくれる、にしたら、あまりにも無責任なことなのである。