ベンチマークは競争相手か?

誰がライバルか?
気になるのは経営者だけでなく,従業員もおなじだ.
だから,一流には一流のライバルが存在する.
これが,スポーツなら,ライバルの引退が本人に与えるガッカリ感ははかりしれない.

企業であれば,業界内のライバルこそ,自社発展のための原動力になる.
だから,おのずとライバル社は昔からさだめられている.
しかし,さいきんはライバルが自己崩壊して,気がついたらいなくなっていた,という事態もありうるし,他業種からの新規参入企業が急成長をとげて,気がつけばライバルになっていた,ということもありうる.

つまり,流動化である.
これは、固定的な状態よりは望ましいことだ.
利用客にとっては,選択肢がふえていることを意味するからだ.
うっかりすると自社も,もしかしたら安穏としていられないから,緊張感がでればよい.
一方で,長年のライバルを失うと,自社も方向性を失うことがある.

そこで,でてきたかんがえかたに,ベンチマークがある.
言い方は良くも悪くも,パクリ元である.
オリジナルを考案して,それを実行するというのは,なかなか簡単ではない.
だから,パクる,というのは有効だ.

これを,どこに行っても同じ「横並び」としないようにするのは,それはそれで技術がいる.
「まねした電器」と揶揄されようが,ライバルが開発した新商品を,短期間でオリジナル以上の完成度で安く大量販売するのは,やってみろと言われても業界他社には真似ができなかった.
この会社の苦境は,電器製品がソリューションとセットになった時代になって発生した.困ってしまって,「高単価多機能化」に走ったら,「低単価低機能」商品に大敗してしまった.

「ものづくり」産業に,ものだけ上手に作ればよい,という旧来の価値観が通用しない転換点がやってきて,とっくにとおりすぎてしまった.
それで,旧来の製造業が成り立たなくなった.
「円高」だけが,空洞化の原因ではない.
むしろ,顧客志向から勝手に離れて不振になったことを,「円高」のせいにしてはいないか?

人的サービス業の企業再生の現場で,従来のライバルはどこかと質問すると,ご近所をあげることがおおい.それで,その相手はいまどうしているかと問えば,廃業していることがあれば,なんとか復活していることもある.
もちろん,そのなんとか復活したやり方をパクりたいのが本音だが,近すぎてできない,ということがある.

それでは,全国を見回して,自社の顧客がめったに行かない地域での参考になりそうな事例の研究を問うと,おどろくほど共通して,そのような研究をしたことがない.
その理由は,ベンチマークを他地域に求める,という発想がないからである.

つまり,地元しかみていない.
もちろん,地元の顧客志向のことではない.
地元のライバルがなにをしているのか?しかみていないのだ.

これは,旧来の製造業が苦境に陥ったのとおなじパターンである.
つまり,あたかも製造業とはちがうサービス業だと定義しても,何のことはない「大量生産大量消費」という,かつての方式をいまだに追求しているすがたである.
それで,再生にいたったのだから,この方式をやめる努力がひつようである.

ところが,再生支援をするお金をだす元が,この方式をやめさせない.
成功体験よもう一度.
ワンパターンでしかない成功方法を,別の角度からできないか?
つまり,登るべき山がおなじなのである.

そうではなくて,登るべき山は別にある.
すでに,地方の金融機関すら,自分たちの登るべき山が別になった.
それなのに,融資先には従来どおりを期待する.
何をか言わんや.

経営者には,しっかりとベンチマークをみつけてほしい.
そして,自社が他社のベンチマークになれるにはどうするとよいのか智恵を絞ってほしいものだ.

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