レジの並び方

「待ち行列理論」という学問があった。
「あった」というのは、「完成された」という意味だ。
だから、いまは、その理論の恩恵をうけた並ぶ方法が、社会の随所で採用されている。

ひとが行列をつくって並べば、とうぜん待たされる。
この行列をいかに短くして、待ち時間をすくなくするのか?というのが、この「理論」の「命題」である。

もとは20世紀のはじめに、電話の自動交換機の開発からはじまったという。
人間のオペレーターが、ジャックにつながった線を目的の穴にいれる「交換業務」を、自動化させるにはどうしたらよいのか?

問題は「接続」それ自体よりも、つぎからつぎへかかってくる電話を、電話局として待たさずに処理する方法が一番のネックだったのである。

ところが、電話をかける、という行為は、かけるひとからすればまったくの偶然で、気分にもよるから、これを予測することはできない。
そうやってかけてきた電話を、一つずつ電話局は相手の回線に接続しないといけないから、十分な余裕をもとうとすると、おそるべき巨大な交換機が必要になってしまう。

こうした交換機を、全国ネットで展開しないと、電話網は完成しない。
すると,電話局への投資はもっと巨大になって、採算にあわなくなる。
そんなわけで、人間のオペレーターが、なかなかなくならなかったのである。

「待ち行列」は、ひとつひとつの発生理由はまちまちでも、これらをあわせて「グラフ」にしてかんがえると、量の大小が時間経過とともにあきらかになる。

それで、何日分ものグラフをかさねると、「傾向」があきらかになって、そんなに巨大な交換機でなくても処理できるかもしれない、というアイデアになった。

こうしたグラフを「分布図」という。
「山」や「谷」があらわれる「図」になるのだ。

この教科書は、けっこう数式が説明につかわれているから、「文系」には厳しいとおもわれるかもしれないが、前半の「応用事例」がたいへん参考になる。

「数式」が理解できないことは、あえて「無視」して、「なんだかわからない」けど、世の中のだれかはこれを「ビジネス」につかっている、という「感覚」だけでも体験して損はない。

とくに「交通系」では、応用がさかんである。
近年、路線バスでも一定時間停車して「時間調整」をすることがあたりまえになってきたのは、こうした「手間」が、全体の運行をスムーズにして、結果的に停留所での待ち時間をすくなくして、到着時間を時刻表に近づけているのである。

さいしょは公衆電話の並び方で応用されたのは、電話局の面目躍如であったが、携帯電話の普及でだれも公衆電話に並ばなくなった。
けれども、災害時に公衆電話がぜんぜんないのも社会インフラとしてこまるから、利用に便利そうな公衆電話がのこされているのも、この理論を応用して「最小化」している。

それからは、銀行のCDやコンビニのレジなどでも、並び方の工夫がされるようになっている。
こうしたことは、生活体験でいろいろある。

ところが、こまった現象があらわになってきている。
それは、上述のような「待ち行列の理論」の「さわり」もしらないで、「決めごと」として片付けるひとがいるからである。

この理論を「完成」させたのは、第二次大戦中のアメリカでのことであった。
おそるべきは、戦争中にもかかわらず「お客を待たせない理論」をかんがえていたということだ。

われわれの発想なら、いまでも「ガマンせよ」という感覚がふつうになるのではないか?
つまり、この理論の「根本」には、提供者側がかんがえるもの、という本当の「おもてなし」の発想があるのだ。

それを接客最前線の従業員におしえないで、「ルール」として従業員におしえると、従順でまじめな従業員はお客に「強要」する態度をとるようになる。
「決まりだから、この線のところに並べ」と。

はたして、この従業員はなにをかんがえているのかと問えば、「なにもかんがえてなどいない」ということがはっきりする。
「うえからいわれたことをちゃんとしています」がこたえだろう。
もう一歩踏み込んで、「どうして『この線』に気づかないお客がおおいのだろう?」をかんがえないということだ。

わたしは、このことこそわが国の生産性が先進国ビリの原因だとかんがえている。
すなわち、もはや旧ソ連圏の社会主義国にふつうにあった、「売店」になりさがっているのだ。

もちろん、品物が豊富にあることはオリジナルとぜんぜんことなるが、働くひとの発想が、社会主義だといいたいのである。

どうしたらだまってお客がスムーズに並んでくれるのか?
ということを店舗ごとにかんがえさせないと、初めての利用客は困惑するばかりで、ついには「不愉快」になってふたたび利用する気がうせるものだ。

社長が交代するというニュースもある話題の最大コンビニチェーンや、もともとソ連型コルホーズを真似た農協の直売所(自由市場)に、この傾向が強いのは、なんだかなぁ、とおもわせる。

従業員は「無知」でいい。

それは、「客」をもバカにする発想なのである。

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