ロシアが「ソ連」だったころは、「媚びる」ひとがたくさんいて、おかけでロシア語教室で食べていけるひとも多かった。
国名を「ロシア」に戻したときに、前政権時代の秘密文書が、いきなりオープンになって、「スパイの噂」があったひとたちの疑いが晴れて、詳細に「スパイだった」ことが晒された。
なかでも有名人は、向坂逸郎というひとで、日本社会党の理論的指導者とも言われていた。
なお、秘密文書で「最高度のスパイ」と指定されていたのに、一切語らず世を去った、瀬島龍三というひともいる。
向坂はいかにも「頭の良さそうな」老人風情で、共産社会の理想像を真顔で語っていた。
ただし、共産党のえらいひとのように、「豪邸住まい」という共通がある。
突然だが、向坂の「ソ連には、売春がありません」という話が、理想社会の「象徴」だったのは、特に敗戦後の貧しかった日本では、戦災で夫や親を失った女性がはじめる、よくある「個人事業」だったからで、顧客は貧しい日本人ではなく、「強いドル」を持っていた米軍将兵であった。
横須賀を皮切りに、特に横浜で「活躍」した、「メリーさん」は、日本が豊かになるにつれ、日本人でお世話になった紳士も多かったというけれど、「士官」以上しか相手にせず、日本人でも背広にネクタイを着用していないと断るという「ドレスコード」設定の気高さも「伝説」となったのである。
それが象徴は、昭和22年のヒット曲、『星の流れに』だった。
作詞、清水みのる、作曲、利根一郎、歌は菊池章子。
この「悲劇」を題材にしたのが、ブームとなった森村誠一の『人間の証明』で、映画は松田優作の出世作でもあった。
確かに、向坂が言うように、ソ連には、「公娼」は存在しない。
しかし、「私娼」はたくさんいて、衛生管理もままならないため、外国人が持ち込む「ペニシリン」が、闇取引されるほどの需要だった。
「AIDS」という病気がなかった時代のことである。
社会主義・共産主義の「建前上」、存在しない商売の結果としての治療とか、予防に必需品だからといっても、「正規」での入手が困難だったのである。
けれども、当時、モスクワなどに駐在していた外国人(日本人も)なら、公然の秘密、いや、常識だったろう。
実際に、企業は「経費」で、これらの薬品を購入して、駐在員に渡していた、と聞いたことがある。
だから、向坂の発言は、駐在経験のあるひとには、「お笑い草」であったけど、思想に染まったひとたちは、向坂を持ち上げても、決して「嘘つき」とは呼ばなかったという、お笑い草がある。
これに「輪」をかけたのが、戦前に活躍していた女優の岡田嘉子であった。
恋多きこの女優は、演出家で共産主義者の杉本良吉と、シベリアからソ連に「亡命」したけれど、昭和42年に日本のテレビに突如出演し、その後の昭和47年に美濃部亮吉都知事らの「運動」で帰国した。
まことに、都民は「まとも」な人物を都知事に選ばない、という習性がある。
長く杉本は、なぜか「英雄的な獄中死」とされていたけど、岡田の証言で、すぐさま銃殺されていたことがわかった。
イタリア共産党創設者のグラムシならば、資本主義政権下の獄中死としてまだ意味があるけど、共産党政権下の獄中死とは、「スパイ」を疑われて荒っぽく始末された、という意味だ。
彼女が生き残ったのは、当局から極秘任務をおびていたからという。
実際に、戦後、モスクワ放送の日本語アナウンサーをやって、プロパガンダを仕掛ける側にいた。
こんなふうに、なんだか暗い話になるのが、旧ソ連だけれども、それが「共産国」というものだから、仕方がない。
兄弟国として「蜜月」だったけど、中ソが激しい「仲違い」をしたのは、左翼界隈でかならず起きる「内ゲバ」の拡大版にすぎない。
「内ゲバ」が発生するメカニズムは、思想的な観念でしかないのが「共産主義」という「宗教」だからで、活動家は、かならず自分の「思想=理論」が正しい、という主張をもって、けっして譲らない。
今様で「1ミリも」譲らないのは、譲れば「全否定」されて、下手をすれば命がないからである。
それで、この体制には「自由剥奪」という「刑罰」がある。
岡田嘉子も、10年の自由剥奪を言い渡されたというけれど、幸いにも3年ほどで出てこられた。
だが、人格がどこまで「破壊」されたかはよくわからない。
一般人なら、3ヶ月で発狂するというのは、ソルジェニーツィン氏の言葉であった。
この「邪悪」は、どこからやってくるのか?と問えば、それは、「共産主義思想そのもの」にあるから、ソ連のこうした「現実」は、思想の賜物である。
しかしながら、人間を欲望で支配する、という、「より邪悪」な発想は、素朴なロシア人ではなくて、「酒池肉林」をリアルに実行したことのある中国人ならではの壮大すぎる歴史と民族的趣味からやってきた。
そんなわけで、ソ連に「媚びる」のとはちがって、格段に「うまみ」があるのが、中国に媚びることで生まれたのは、意識的にそうさせて「役に立つ白痴」をコントロールしているからである。
だから、いま、ロシアやプーチンを「悪者」扱いにするのである。
こうしたなか、昨29日、サントリーホールでのコンサートに久しぶりに行ってきた。
アマチュアオーケストラとはいえども、けっして侮れない「東京グリーン交響楽団」の年2回ある定期演奏会の本年初回だ。
今回の演目は、なぜかすべてロシア人作曲家(ボロディン、カバレフスキー、チャイコフスキー)という「選曲の妙」を感じながら、「農奴」の土臭くて、ロシア的過剰な装飾のサウンドに浸ってきた。
「スキー」が付くのはポーランド貴族の系統だとわかるのだけど、ボロディンとチャイコフスキーは、革命前ロシア帝国時代、カバレフスキーは、ソ連時代の作曲家だから、当局の指導のもとに作曲したのである。
どんな「政治的解釈での要求」にこたえたのだろうか?
全部で10曲の組曲『道化師』の第2曲『ギャロップ』は、小学校の運動会でかかる「定番」の3大音楽のひとつだから、日本人もソ連共産党の指導を受けたと同然なのだ。
ちなみに、他の2曲とは、オッフェンバック『天国と地獄』、ハチャトリアン『剣の舞』である。
もちろん、ハチャトリアンもソ連の作曲家だ。
これを、子供の脳に埋めこむことを、文部省がやったことは記憶していていい。
そんなわけで、ウクライナ情勢で、プーチンのロシアを「悪者」にして、「邪悪」な戦争を仕掛けているのは、残念ながら「産軍複合体」とお仲間の、民主党政権と共和党主流派なので、「うまみのない」ロシアに媚びる者がいなくなったのであった。
「音楽に国境はない」けれど、だから利用するという「邪悪」は、経済力がずっとある国で、より進化していると思いながら、熱演を聴いていた。
一曲目の『歌劇イーゴリ公序曲』の出だし、弦楽器の「枯れた感じ」が、なんだかウィーンフィルを彷彿とさせたけど、だんだんと「澄んで」しまった。
個人練習が音量的に困難な金管楽器も、その響かたがプログラムの進行に沿うように「向上」したのは、集中力のなせる技だろう。
その意味で、どこで練習するのかわからない、ティンパニの「切れ味」が秀逸で、見事な「思い切りのよさ」があったのは、演奏者が女性だったからかもしれない。
やっぱり生で聴くコンサートっていいものですね。