1961年(昭和36年)に完成した、「国民皆保険制度」による、保険診療が、いまでは「当然」のスタンダードだから、それから外れる自由診療に自由がないことを、国民の多くが知らないでいる。
どんな自由かといえば、患者の「選択の自由」をいう。
つまり、「保険診療」とは、じっさいの「強制」なのだ。
このことは、小さなこと、ではない、「大ごと」なのだが、保険診療のあたりまえが、とうてい「大ごと」だという認識すら国民にさせない、「大ごと」なのである。
「病気を治す」あるいは、「病気が治る」とは、どんなこと、あるいは、どんな状態をいうのか?という面倒な話を理解しないといけない。
大ヒットした韓ドラ『チャングムの誓い』で、女官から医女に身分を落とされた主人公は、とうとう「王の主治医」になって、その功績から、衣冠制の最高位ともいえる地位に就く。
治療にあたるときの口癖(とした「セリフ」)は、「医官が病気を治すのではなく、本人の身体が自分で治すものだ」を繰り返す。
そこで、「医食同源」の思想も映えるから、日本でいう「大膳部」にあたる料理人としての女官だった経歴も映えることになっている。
この「病気を治すのは自分の身体だ」というかんがえは、漢方における基本概念なので、朝鮮における「韓医学」になったし、わが国の伝統医療にも適応されてきた。
そこに、「西洋医学」がやってきて、西洋の(科学と技術が)「進んでいる」ことが、自分たちは圧倒的に「遅れている」という観念になって、席巻されたのだった。
しかして、西洋医学にもざっくり二系統があって、「病原を理論化」することに重きをおく、ドイツ流と、「とにかく臨床で治ればいい」とする、英国流があって、わが国では陸軍と東大とがドイツ流、海軍と慈恵会が英国流を採用して今日に至ったことになっている。
けれども、どちらも「保険診療」という「くびき」の中に入って、そこからの脱却が「不可能」であるから、保険診療をとんがらせる一方通行の方向にしか存在できない。
せめて、「高度医療」という最新技術を用いた、「高額医療」について、保険部分と自由診療部分にわけて、患者の経済負担の軽減をはかることを「制度化」しただけなのである。
それで、「自分が自分を治す」という、「治癒力」について話を戻せば、じっさいに「西洋医学」をもってしても、この「原則」は変えることができない。
唯一の外部専門家による治療が、圧倒的効果をあげるのは、「怪我」などの「外科」あるいは、「整体」によるものだという。
保険診療の問題は、診療内容が完全にマニュアル化していることにある。
「健康保険」からの、「公金」を使うから、「公平性」という価値観で、みごとな「全国一律」を構築したのである。
すると、むかしのような「藪医者」に、めったにお目にかからなくなったのも、この「全国一律」のお陰なのだ。
つまり、症状による「治療」と、「投薬」は、決まっている。
その症状は、「データ」によって裏づけられるので、たとえ「入院」しても、直接医師による診察がないばかりか、面と向かって会話すらしない。
看護師による血圧測定にはじまって、すべてがデータ化されるからで、もはや医師は、患者の顔色ではなくて、モニター画面を観ているのである。
しかし、これが、「保険診療」のルールなので、余計なことは「しない」のではなくて、「できない」のである。
そんなわけだから、「投薬」にいたっても、保険で定められた「薬」を、定められた「量」出すことしか「できない」のだ。
そうしないと、「保険」の実績審査において、「不当」だと判定されたら最後、たいへんなペナルティーを受けることになるからである。
これらを管理するための「一律基準」が、「保険点数」だ。
よって、患者は近所のクリニックだろうが大病院だろうが、黙っていれば全員が「保険診療」を受けることになるので、みごとな「平等」のもとにいられるけれど、そこでの「治療」とは、ほとんどが「応急処置だけ」という「品質下」におかれるのである。
これは、「癌治療」においても、例外ではない。
あたかも、個別の癌治療のごとくでありながら、全員おなじパターンが適用されるのは、「保険診療」だからだ。
このことの重要性は、とくに「予防」ということで顕在化する。
なぜならば、保険診療には、「予防」という概念がないからだ。
よって、なんらかの症状がある者しか「診療の対象」とはならない。
だから、「早期発見・早期治療」が叫ばれるのであって、「早期発見」にも、「予防」という概念がないことに注意したい。
これがまた、さまざまな「健康情報」が散乱して、さまざまな「サプリメント」が売れる原因にもなっている。
それで、間違った情報で間違ったサプリメントを、間違った量で摂取することによる、「健康被害」が後を絶たない。
これが放置されているのは、「自由」だから、ではなくて、「保険診療」に持ち込むためだといえまいか?
それで、「予防」を重視した「診療」は、わが国では「自由診療」でしか扱えない分野になっている。
多くのひとが、自由診療=美容だと勘違いするのは、「予防」のプロの存在が、あまりにも小さいからでもある。
国民皆保険制度とは、典型的な社会主義政策で、これを推進するのは、社会主義国家である。
「平等」をうたうゆえに、「自由がない」という、トレードオフの関係が、みごとに「保険診療」にあらわれているのだと、ちょっとだけでも知っていていい。