二つの産業と二つの資本主義

二つの産業とは、金融業と非金融業をいい、二つの資本主義とは、金融資本主義と産業資本主義をさす。
いま、この世は金融業による金融資本主義の世界と、非金融業による産業資本主義の世界が奇妙な共存をしている。
金融業による金融資本主義の世界を、むかしは「虚業」とよんでいたが、それができたのは非金融業による産業資本主義の「実業」の世界が「主流」だったからである。

だから、むかしは「企業家」のことを「実業家」とよんでいた。
はたして、いまは「企業家」のことを「虚業家」とはいえないから、そのまま「企業家」とよんでいる。

わが国の「経済専門家」の一部のひとは、「資本主義の終わりの始まり」とか、気のはやいひと、あるいは資本主義が嫌いなひとは、願望もこめて「資本主義の終焉」とかといいふらしている。
しかし、ヘトヘトになってしまったのは「産業資本主義」で、台頭しているのが「金融資本主義」なのだ。
「資本主義」は、ぜんぜん「終焉」などしていない。

さいしょの「ひと文字」から、さいごの「ひと文字」まで、ぜんぶまちがっているマルクスの主張を、いまだに信じて、歴史の発展過程は資本主義の次に社会主義がやってきて、それから理想的な共産主義になるというのは、「ナンセンス」をとおりこした妄想である。

ソ連や東欧圏の失敗のみならず、ただいま現在進行形の国家権力によるむき出しの「人権弾圧」は、一体どこの誰がやっていることかをしらないはずがない。

しかし、これらの「人権弾圧」をやっている国は、いまだに「共産主義」を標榜しているけど、歴史的に発展した資本主義を経験していない。
だから、「エセ」なのだ、というヘンテコな弁護すらある。
これがヘンテコなのは、「エセ」だから「人権弾圧」が許されるのだといって、見ない振りをするからである。
よくもこんな暴論をいえるものだ。

人間のこころを持ちあわせない「悪魔」にちがいない。

「資本主義」を国是にするはずのアメリカ合衆国で、金融資本主義が蔓延し、その反動から社会主義が台頭してきている。
アメリカの苦悩は、人口構成の激変という事情もある。
今後、数十年で、「白人が少数民族になる」のだ。
少子化の白人と、多産のエスニック等が、人口で逆転することが「確実」になっている。

わが国の人口推計には、移民が考慮されていない。
しかし、少子による人口減少スパイラルは、すでに発生していて、もはやだれにも止めることができない。
日本人女性の特殊出生率は、ほとんど「ひとり」になった。
うまれてくる子どもの半分しか女の子はいないので、成人してからの出産期を勘案すれば、30年から40年周期で子どもの数が半減するモードになっているのだ。

したがって、わが国も、将来のどこかの時点で、日本人が少数民族になること「確実」なのである。
この意味において、鳩山由紀夫元首相の「日本列島は日本人だけのものではない」というフレーズはただしい。
ただし、今現在の日本人に「多民族国家」になることの覚悟は、まったくない。
きれいごとではすまない事態が、もうすぐやってくるのである。

そんななかで、もうひとつ覚悟がぜんぜんできていないのは、「資本主義」が「産業資本主義」だけだと、いまだに思い込んでいることである。

「カジノ」すら、ただの「博打」とか「賭場」だという認識しかできていない。巨大なパチンコができるようなものだと、たかをくくっているのではないか?

確率論を駆使した、客の資産を巻き上げる「システム」とかんがえれば、立派な「金融資本」なのである。
資金を提供する「投資家」は、資金回収しか興味がないのだ。

しかしながら、パチンコすらとっくにリアルタイムで「利益」が把握できるシステムになっていることに興味がない経営者はたくさんいる。
もちろん、パチンコも、「貸し玉」と「出玉」の交換比率がちがうことから利益をえるので、じつは金融業的なのだ。

すでにあやしい金融商品を大量購入しているわが国の金融機関は、「破たん」の危機にある。
この手の金融商品は、いったい誰のお金で買ったのか?
貸し付けるなら、信用創造になるが、リスクをことごとく回避した。
金融機関が貸出をしない、できない、という愚策に誘導したのが金融庁と日銀である。

わが国の国民が昭和の時代に稼いで貯めたお金が、なんとそっくり外国の金融資本に吸い取られようとしている。
はたして「資本主義が悪い」といって済まされるものか?
産業資本主義から金融資本主義に移行したことに気づかなかったものを、世界はふつう「間抜け」というのだ。
あるいは「カモ」ともいう。

人類史上はじめての「マイナス金利」までやって、どうなるかをかんがえもしない態度は、真珠湾を攻撃しただけで「ハワイ占領後に王国復活」などかんがえもしなかったのとそっくりである。
アメリカのハワイ王国滅亡と簒奪の手段をしらないで、毎年の正月に遊びにいく脳天気が、まことに「間抜け」の象徴なのだ。

利ざやが稼げない巨大金融機関が、こぞって外国証券会社の高金利商品にじぶんから飛びついた。
これを「カモねぎ」というのだ。

カジノ誘致に税金を投入するのも「カモねぎ」だ。
相手がなにを目論んでいるのか、いっこうに理解できないのは「知能」の問題になっている。

わが国は、とっくに「銀行家」が絶滅したのである。
しかして、ここにこそ、逆転のチャンスがある。
諸悪の根源、金融庁と日銀を廃止するときこそ、活路がひらける。

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