保養・健康の海水浴を撲滅せよ

神奈川県の大磯といえば、かつてのワンマン宰相「吉田茂邸」があったことでしられる。
吉田がこの地に居を構えたのは、政治の中心、東京との距離感だけでなく、風光明媚と潮風が適度に健康によいとされたからである。

吉田は自由主義者(「リバタリアン」)だった。
そのことが、干される、原因となって戦争中の敵国、英国駐在大使という、ありえない「閑職」においやられていた。

それでも当時の「特命全権大使」には、国家元首と大元帥を兼ねる「陛下の名代」という明確な立場があった。「首相の名代」となって、いまのようなケチいサラリーマン大使ではないのは、「家柄」と「身分」という裏づけもあったのだ。

そこで、閑にかこつけた吉田は、日本大使館という「領土内」で、ウィスキーを仕込むことをおもいつく。
英国を呑んでやれ、という「気概」でもある。

当然だが、「本場」のスコットランドから、職人を招聘し、蒸留ポットも仮設で建設し、50樽を仕込んだ。
これが、いまは幻の「ジャパニーズ・ブレンド」である。
幻となったのは、サラリーマン化した戦後の歴代大使たちが、消費こそすれ、だれも追加で仕込まなかったからである。

いま、ケチいサラリーマン議員ばかりになった国会で、外務省予算にロンドンでウィスキーを仕込むカネがあるといったら、こんなワイドショー好みの話もないだろう。
「国家予算でウィスキー?」ありえない、と。

民族の誇りを自ら捨てるのを義とするのは勝手だが、民族の誇りにこだわっている国だってふつうにある。
伝統を重んじる英国はその典型で、かつてアホな日本大使が英国外務大臣を晩餐会に招待したとき、ジャパニーズ・ブレンドを振る舞って、思い切り自慢した。

ディナーの仕上げは、ブランデーと決まっているのに、高度成長を背景に有頂天を決め込んで、無粋とされるウィスキーを出したのだ。
ところが、すでに大使館の地下蔵に数十年も眠っている「樽出し」だから、そのへんのブランデーに負けやしないまろやかな逸品だった。

驚いた外務大臣。
このままでは、英国の国民酒すら日本に席巻される。
しかしながら、彼こそは、スコットランドの造り酒屋の息子だった。
そこで、彼が中心になって新法を制定した。

「新酒保存法」である。
あたらしいウィスキーを仕込んだら、酒蔵はかならず一樽は保存し、販売してはならない、という内容だ。
この法律ができたとき、外務大臣が日本大使に告げたのは、そのうちわが国のウィスキーがジャパニーズ・ブレンドを超えるからみていろ、と。

「酒」といえば、「税法」しか思いつかない発想の貧困。

さて、そんなわけで、「湘南」は自動車のナンバープレートをいうのではない。
国鉄時代は、「湘南電車」と呼んでいたものが、いつの間にか「東海道線」と本名になったのはなぜだろう?

相模の南で「相南」を、中国の名勝地「洞庭湖」のあたりをさす「湘南」に書きかえたのが由来だ。
いまなら、カルフォルニアの「サンタモニカ」とでもいうべきか?

日本で最初の大磯海水浴場は、保養と健康のためにつくられたのだ。
当時、「保養」といえば、「結核」の療養をイメージするほどだ。
つまり、弱った体の体力を元に戻す効果がうたわれたから、けっこう「医学」的なのである。

科学的根拠不明の同調圧力とは、ファシズム的だとなんども批判してきたが、神奈川県はとうとう今夏の海水浴場の25カ所すべてを営業停止にきめた。
昨年の利用客は320万人だったから、ことしは、このひとたちの行き場がなくなった。

海水浴場には、利用ルールとしての各「条例がある」から、閉鎖となると、これらの条例も適用されない。
すなわち、「無法地帯になってしまう」と、すでにマスコミはあおりはじめた。

あれれ?
コロナウィルスは、紫外線のある日光に弱いのではなかったか?
つまり、「日光消毒」のことだ。
それに、海水も、適度な刺激を体にあたえることで、抵抗力を増進させるのでなかった?

こうした「知見」をぜんぶ無視して、数字的根拠もないままに、まだ「感染爆発」をいう知事や首長たちは、やっぱり「ファシスト」ではないか?

そして、意地悪をしたくてしょうがないから、まずは「海の家」を「完全予約制」にしろという。
こんな命令をするものを、「ガイドライン」と呼ぶのは、ファシスト特有のダブルスタンダードである。

もちろん、法的根拠がないどころか「憲法違反」なので、したがうべきことではないが、どんな「嫌がらせ」を行政当局から受けるかしれないので、事業者たちは従順になるのである。

ヤクザの脅しより怖い、行政の脅し。

そして、これから、海岸を無法地帯にさせないための手を打つのが、行政当局の仕事になって、いよいよ市民の「自由」が剥奪される。

ほんとうに、こんなことをするものを「選挙」で選んだのか?
市民をおもえば、「どうしたら海水浴を楽しめるのか?」を追求する立場をとるのが、ふつうではないのか。

つまり、もう、ふつうではないということだ。
異常者たちが統治する。
それが、神奈川県になった。

愛知県知事のリコールがはじまるらしいが、神奈川県はたいへんだ。
知事だけでなく、市・町すべからく失格だからだ。
大規模リコール運動が起きないのも不思議なのである。

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