コンピューターが普及していなかったむかし、先進的であろうとした企業が導入を急いで、大失敗したことがある。
たとえば、パンナム(Pan American Airways)。
商業航空航路の総距離で、ソ連のアエロフロートには及ばなかったが、いわゆる「西側」世界では、圧倒的な航空会社であったし、サービス水準の高さは、「東側」と比べることこそはばかれるから、名実ともに世界一だった。
そのパンナムが、座席予約システムにコンピューターを導入した。
今でこそあたりまえではあるけど、この失敗が、現在パンナムという航空会社が存在しないおおきな理由になったのだからおそろしい。
先だって亡くなった、兼高かおるさんの「世界の旅」は、まったくもって当時の日本での生活からかけ離れた番組だった。
円の持ち出し規制ではなく、そもそも、外国に個人が旅行できるなんてかんがえられない時代であった。
その遠い世界の番組のスポンサーが、パンナムだった。
それに、大相撲の幕内優勝での表彰式では、極東地区広報支配人のデビッド・ジョーンズ氏が土俵にあがって読み上げる「ひょーしょーじょー」が毎回のおたのしみでもあった。
当時のコンピューターは、100人ほどが机をならべられるようなスペースに鎮座していたが、メモリーはたったの2メガか4メガだった。
データを保存するためのフロッピーディスクとはちがうが、すでに入手困難なフロッピーディスク2枚か4枚分しかないメモリーで、よくも全世界の座席予約業務をやろうと決断したものだ。
メモリー不足は、パンチカードという、カード型のボール紙に穴をあけることでデータを保存し、これを読み込んで「処理」させた。
だから、コンピューターがうごくために、人間がパンチカードの穴をあけてやらなければならない。
それで、キーパンチャーという職業がうまれた。
きめられたデータを、キーボードから入力すると、穴があいたカードがでてくる。
そんなわけで、キーパンチャーがやたら必要になったから、会社はぜんぜん効率化しなかったどころか、かえって人件費がふえてしまった。
当時の先進的な企業は、「宇宙時代」に夢をはせて、こぞってコンピューターの万能性を信じてキーパンチャーを雇用し、そして、まもなく「損」に気がついてコンピューターを「廃棄」したのである。
同時に、キーパンチャーという職業人も、職場だけでなく職そのものの転換を余儀なくされた。
あの名作、『2001年宇宙の旅』では、「HAL9000」という人工頭脳よって宇宙飛行士が排除される。
パンナムの経営陣は、自社のコンピューターがそのうち「HAL」になると、一字違いの「IBM」に説明されたのだろうか?
ちなみに、アーサー・C・クラークの原作はシリーズ4冊あって、後半2作は映画化されていない。
最後の作品は、さいきんの量子論における「意識」と「生命」をほうふつとさせるから、クラークの先見性におどろくのである。
この「失敗の記憶」こそが、経営者に「コンピューターは使い物にならない」という信念に変換された。
これが、第一世代といわれる実用コンピューターのはかなくも悲しい物語であった。
すなわち、あんまり「実用」的ではなかった。
ところが,技術革新はとまらない。
しばらくして、第二世代コンピューターが登場する。
すでに、大きさも価格も第一世代の何分の一になった。しかし、メモリーは格段におおきくなっていた。
この世代のコンピューターが、業界地図をかえる起爆剤になったのだ。
第一世代で失敗した企業は、第二世代導入に慎重になったのはいうまでもないが、「使い物にならない」という「信念」になった「記憶」が、他社の様子をみる、という結論をみちびいてしまった。
この「他社」とは、ライバル企業のことを指す。
簡単にいえば、導入をきめたライバルが、過去の自社のようにコケることを「見たかった」のである。
残念だが、この「希望」はかなわなかった。
それどころか、あれよあれよと、自社の有利性が失われていく。
あわてて自社もコンピューターの導入をきめたが、おもうようにうごかない。
こうして、貧すれば鈍する、のとおり、資金が枯渇して、とうとう切り売りがはじまって、最後をむかえるのに、時間はそんなにかからない。
なにをしたいのか?という目的と、手段の選択を間違えたのが最初の失敗の原因だったが、これをコンピューターのせいにしたのだ。
だから、次世代のとき、他社がなにをしたいのか?という目的と手段の吟味の結果からコンピューターを導入したのに、このことにすら気づかずに、自社の業務の単純なる自動化をはかったからいけなかったのだ。
いまは、コンピューターの能力が人間を凌駕しつつあるから、コンピューターをつかうことが「先進的」とかんがえられがちなのは、じつは第一次世代の時代感覚である「宇宙時代」だからに、似ている。
なにをしたいのか?という目的と、手段の吟味ということの重要性が増しているだけなのだが、なんだか「先進的」なマシンをいれたら自社が先進企業になったような気がしてしまう。
ほんとうの先進企業は、そんな先進性に興味はない。
むしろ、愚直に自社の製品やサービスの価値を高める方法を吟味しつづけているものだ。
パンナムは、重要な教訓をおしえてくれた。