「昨日の電卓の話」でした、むかしから愛用のカメラを久しぶりに出してみたら、電池がとっくに切れていた。
幸い、液漏れはなかったので新品と交換した。
ぜんぜん問題なく作動しているから、なんだか急にこのカメラで写真を撮りたくなった。
たまたま、今週火曜から家内の夏休みに合わせた旅行を計画していたから、ちょうどよいきっかけになった。
ところが、どこにでも売っていた「写真フィルム」を購入する旅が、「まさか」の思いと共に始まったのである。
もちろん、フィルムが売れなくなって、あの世界の「コダック」が倒産したことはしっている。
エジプトに住んでいた40年近く前だって、カイロの街中にあった売店でコダックのフィルムは売っていたし、気の利いた高級ホテルの売店には「フジカラー」だってあったものだ。
「肌色」の発色が、フジカラーはやや青みがかっていたので、「サクラカラー」のフィルムをまとめて持っていった。
それでも足りなくなって、あんがいとドイツの「アグファ」のフィルムを使っていたのは、安かったからである。
カイロの写真屋のプリント技術がイマイチだったので、フィルムにこだわる意味が薄かったこともある。
だから、帰国してからだいぶ経って富士フィルムが、「100年プリント」を売りにした意味が、けっこう理解できた。
その富士フィルムも、思い切った「脱皮」を遂げて、写真フィルムメーカーだったのは、社名だけになった感がある。
「サクラカラー」の小西六も、カメラのミノルタと合併して、コニカミノルタになって、2006年にフィルム事業から撤退した。
個人的なことだけど、わたしが帝国ホテルを退社した年に、サクラカラーもなくなっていたのだと思ったら、時間の経過を感じざるを得ない。
つまり、すっかりフィルムを必要としない生活に慣れきっていた、という意味を実感したのである。
だから、急に「写真を撮ろう」と思いついた、というのは、これら企業の関係者には随分わがままで失礼なことでもある。
それに、デジカメで撮影した写真を、プリントしないでいることにも疑念を持っていなかった。
ハードディスクやらクラウドに保存した画像を、たまにモニター表示させたら、わざわざプリントの要もない。
そんなわけで、まずはいつもの「ネット検索」をしたら、大手カメラ量販店での通販がすぐさまヒットした。
しかし、それでは上に書いたように、旅行の出発日に間に合わない。
なにせ、急に思い立ったからである。
それで、実店舗に行くことにしたのであるが、そこには驚きの事実があった。
つまり、大型店といえども、店舗在庫が「ない」のである。
気を取り直して、我が家の近所にあるカメラ専門店に行ってみたら、「1本だけ」ポツンとあった。
店員さんに次回の入荷はいつかと聞いたら、「不明」との返事だったのは、最近になって急にフィルム需要が増えているからだそうだ。
もう新品のフィルム・カメラは販売されていないので、かつての「名機」が中古市場で「格安」に手に入る。
さすれば、フィルムがないと始まらないのは当然だ。
店員さんによれば、「写真の味」がちがう、というのがお客さんたちの「声」らしい。
もしかしたら、「シャッターを切る」あの機械音の手応えが、「たまらない」からかもしれない。
それが、「出来上がりの満足」にも影響しているなら、実に人間的な反応だとおもわれる。
その場でどんなふうに撮れたかが確認できないことも、もう不便ではなくて、現像の結果待ちがかえって期待にもなっているのだ。
すると、「写真とはなにか?」ということにもなって、フィルムの機能があらためて注目されるのも理解できる。
そこにまた、「選択の楽しみ」まであるのだ。
なんだか、クオーツに席巻された機械式時計の復活に似ている。
ただし、時計は時計職人が絶滅したわけではなかったけれど、カメラはほぼ絶滅して、中古市場ばかりなった。
もしや、ここに目をつけた「投資家」がいるかもしれない。
しかし、フィルムが絶えたら無用の長物になるから、ただ単に「所持するだけ」ではなくて、撮影してなんぼなのである。
わたしの父はカメラが趣味でもあった。
たまたま妹を撮ったポートレートが、「なんとか賞」を受賞して、深みにはまったとおもう。
晴海でやっていたモーターショーで、ダイハツの車を背景にわたしを撮った写真も、「なんとか賞」をもらった覚えがある。
本人は、会場の広さと混雑でくたくただったけど、それがおすまし顔になったようだった。
大枚かけたそのカメラも放置して置いてあるから、たまにはさわらないといけないと気がついた。
なにせ「ミノルタ一本槍」のファンではあったが、AF機能の「αシリーズ」には目もくれなかった。
フィルムを販売しているお店は、たいていプリントサービスもやっている。
印画紙にプリントするだけでなく、デジタル・ファイル化もしてスマホ転送サービスもあるという。
なんだか本末転倒のような、蛇足、のような気もするけれど、これぞ「100年保存」なのかもしれない。
まぁ、100年後に、スマホがあれば、の話ではある。
さてそれで、フィルムは36枚どりASA400で1600円程度だから、フィルム一コマあたり約44円だ。
これに現像代とプリント代が加算されるから、いまとなってはそれなりのコストである。
デジタルだと、コスト意識が薄れた分、写真のありがたみも減った。
一枚撮っては巻き取るごとに値段を気にしたことがなかった「むかしの当たり前」が、幸せだった時代を象徴しているのかもしれない。