分裂するアメリカの恐怖

アメリカが「思想」で分断されてきている。
もはや「民主党」は社会主義をむきだしにして、かつてソ連と対峙した時代にはかんがえられない、自身の「ソ連化」を批判する者はいない。

一方の「共和党」は、「反グローバリズム」のトランプ政権によって、「金融資本主義」が押さえつけられ、製造業への回帰という一見「古風」な政策が推進されている。

どちらの側も、少数の富豪による「国富」をこえた「独占的支配」に対抗しているのである。
つまり、アメリカの矛盾は、あきらかに「富の分配」における不公平感是正に対する「手段」になって表面化している。

しかし、「手段の選択」には「思想」という要素が不可欠だから、「資本主義の必然的矛盾」だという、典型的かつ古典的な社会主義・共産主義思想にたてば、民主党の主張になることも「必然」なので、目指すは「ソ連化」になる。

対して、共和党は「資本主義」自体の問題ではなくて、「資本主義の運用の問題」という枠を設けているのである。
なかでも、金融資本家による支配について、つまり端的にいえば「ウォール街つぶし」こそが手段となっている。

この思想対立が、来年の大統領選挙にむけて熾烈化するのは必至だ。

かつて、「ソ連」を誕生させたのは、じつは金融資本家たちによる「支援」だったことは、歴史的事実としてしられている。
見返りは「隠れ蓑」という「場の提供」だった。

歴史は繰り返す。

いま、トランプ政権つぶしに奔走しているのは、弾圧の対象になっている金融資本家たちなのはあきらかで、かれらが民主党にかけより、アメリカの「ソ連化」を推進しているのである。
これを隠蔽するための「手段」が、民主党の中国批判なのである。

すると、かつての「中ソ対立」が、民主党によってすでにおこなわれていることになる。

さらに、不可思議なのがいま渦中の「トランプ弾劾」だ。
いわゆる「ウクライナ疑惑」のことだが、そもそも論でいえば、いちばんあやしいのは「バイデン元副大統領とその息子」による「ウクライナ『利権』」である。

民主党の次期大統領候補として、世論で最有力視されているのが「バイデン元副大統領」なのだから、問題をトランプにすり替えているようにみせながら、じつは民主党内における「バイデン失脚工作」ではないのか?ともかんがえられる。

候補者を選ぶという、わが国には存在しない方法の「予備選挙」で、党の代表者を決めるのだから、「本戦」まではえらく長丁場なのがアメリカ大統領選挙だ。
今回は、民主党内に「極左」の立候補予定者がいることに注目したい。

つまり、世論におもねることなく、党の思想によって候補者を選ぶなら、とっくに「バイデン」は本命ではない、ともいえる。
だから、ウクライナ疑惑は、バイデン降ろしの役に立つし、トランプ批判の世論も期待できるから、一石二鳥なのだ。

この「弾劾問題」は、以上のようにみれば、アメリカの分裂の深刻さが鮮明になることから、どんな結論になるのかによって、今後の世界史がきまるほどの威力がある。

われわれにとっても、「対岸の火事」ではすまされない。
おそらく、来年のアメリカ大統領選挙は、かつてないアメリカ社会の決定的分裂を世界にさらしながら、その余波が、われわれにとっては、「余波」どころではない「強烈な圧力」となってくるにちがいない。

それは、社会主義を達成したがゆえに「衰退確実」なわが国が、社会主義を棄ててプリミティブな資本主義を追求しながら、政治的には「帝国主義」むきだしの中国陣営に向かうのか?それとも、本家「ソ連」をめざす民主党政権のアメリカか、あるいは、古風な資本主義の共和党政権のアメリカかの選択を迫られるからである。

これは、どれをとっても「ベストがない」から、悪魔の選択にならざるをえない。

すくなくても、自民党安倍政権は、中国陣営に向かう選択を、現時点でしているから、アメリカ大統領選挙による「強烈な圧力」がくるまえに決着させておこうという魂胆なのだろう。

経済は中国に、防衛はアメリカにという「コウモリ君」になると決めた、という意味である。
なるほど、それで、香港問題にも台湾問題にも一切の発言をしない「無関心」でいられるのだ。

衰退がとまらないわが国は、どうやら世界第三位の地位から不況のドイツに抜かれて第四位になったようだ。
たった1ランクのダウンではない、とまらない落ち込みのスピードアップのはじまりにすぎない。

「コウモリ君」がどんな運命になるのかは、児童のほうがしっている。

トランプ政権は、中国と経済戦争をおこなっているというけれど、これには上述のように民主党も乗っているから事実上の「新冷戦」だ。
なのに、同盟国のわが国が「裏切っている」けどなにもいわないのはなぜか?

ふつうにかんがえれば「泳がしている」のか、あるいは、「呆れている」のかのどちらかで、「泳がしている」のなら「鉄槌」が、「呆れている」なら「絶交」がやってくる。

このままでは、どうにもならない不幸がわが国にやってくる。
最悪をかんがえないわるい癖がわが国エリートの伝統だから、そのときにどんな「パニック」を見せつけられても、国民の不幸が改善されることはない。

戦争の世紀だった20世紀よりも、真綿でくびをしめられる悲惨な世紀になりそうな気配がぷんぷんしている。

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