前にも書いた、MTPとは、Management Training Program の略で、わが国には、戦後すぐに米空軍立川基地の日本人従業員への管理職養成に導入された手法である。
改めていえば、組織をあずかるひとなら誰にでも有効なメソッドである。
じっさいに、企業ならわが国を代表する自動車会社や、その系列、あるいは世界的化学メーカーなどだけでなく、おおくの中小企業にも導入されている。
MTPと共に立川基地から伝わった手法に、TWIもあると何度か書いた。
こちらは、現場作業の「教え方を訓練」する方法である。
TWIのモットーは、「相手ができないのは自分が教えていないからだ」にある。「相手」とは部下や教えられるひとのことで、「自分」とは上司や教える立場のひとを指す。
だから、部下ができないのは上司である自分が教えていないからだ、という思想は、まったくそのとおりのことをそのとおりに書いているのである。
なんだか、わが国伝統の、「背中を見て覚えろ」とか「師匠の技を見て盗め」という思想では、「緩い」のである。
こうしてみると、わが国の伝統的な教え方は、「パッシブ」で、米軍のやり方は、「アクティブ」である。
もちろん、時間はかかるが「パッシブ」なやり方がまったくダメだということではない。
「その道」を徹底的にきわめるという「覚悟」までに追いこむことで、教える側と一体になることを理想とするからである。
そこにひそむ「精神性」までもが引き継がれる、という意味での「凄み」さえある。
しかし、一方で、そこまで付き合えない、というのも現代感覚である。
西洋の合理性が輸入された結果ではあるけれど、それはそれで一理ある。
それが、当時の、「少品種大量生産」にマッチした。
「効率的なやり方」を追求するのは、開発した「軍」はもちろん、納品する製造業にも有用だったからである。
それで、軍需品の物量戦における「大量生産」に応用された。
しかし、戦勝国のアメリカで戦後は廃れ、敗戦国のわが国に導入されたのは、わが国のやり方が、「合理的」とはかけ離れているように米軍将校の目に写ったからである。
それで、わが国を代表する電器メーカーの人事部に配属されたアメリカ人によって、この手法が逆輸入され、いまではアメリカの産業界におおきく貢献しているという皮肉がある。
さて、昨今の「間抜けな事件」の代表が、医師たちの夜遊びによる「集団感染」だ。
大学名や病院名が出るので、その入学や勤務のための難易度をかんがえると、世間のイメージと、しでかしたことのギャップが大きすぎるので、なんとも締まりがわるい話題になっている。
慶應義塾大学は、このところ「下ネタ」事件がいろいろ続いていて、なんだかなぁ、なのだが、むろんほんの一部の暴走が校名を背負って発信されるだけである。
それは、ふだんから「校名」で「ブランド化」をはかっていることの裏返しにすぎないので、経営陣にも責任がある。
今回の、慶應義塾大学病院における研修医たちの「打ち上げ飲み会」は、慶應病院という大病院ひとつの問題ではなくて、「ケイレツ」が100もある「白い巨塔」における、医局の崩壊になってしまった。
濃厚接触した医師や看護師などが、続々と「二週間の隔離」対象になるからである。
これを、院長たち幹部が、いつものように「頭をさげる」ことでの「謝罪会見」をするが、わるいのは「やっちまった本人たち」であるとして、「教える側」の責任を放棄するのである。
「医師としてあるまじき」と。
草葉の陰で福沢諭吉が泣いている。
企業において、「試用期間」にあたるのが、「研修医」だとすれば、「あるまじき」ことをやったら、「解雇」だってありうるから、「医師免許」が「無効」になっても文句はいえない。
こうした、「罰則」がないなら、どんな「制度」なのか?の疑問がのこるが、これを決めるのは「誰なのか?」。
そんなわけで、上司にあたる院長たち幹部には、「TWIの精神」をたたき込む必要がある。
わが国で、TWIを積極的に導入しているのは、「筑波大病院」であるから、慶應義塾大学病院の幹部は筑波大病院に「見習い」にいくとよい。このとき、白衣には「見習中」と書いた名札をつけよ。
それに、医師は全員、MTPを「必修」とすべきである。
開業しようが、勤務医になろうが、「医師」ひとりだけでは業務は困難である。医療事務担当者だって必要なのだ。
すると、医師は、新米だろうが、かならず「職場リーダー」になる。
組織は、おなじ目的・目標をもった、二人以上の人間からなる。
「医師免許」の重みは、医療という分野では、周辺の専門家を束ねる職務も含んでいるのだ。
まさに、マネジメントができなくて、どうして「医療」ができるものか。
医師国家試験の「受験資格」に、MTP受講修了証の提示を義務づけるべきである。
その前に、期間をもうけて、既存の医師全員にも修了証の取得を義務づける必要がある。
MTPの威力をしらないひとが、先輩や上司として存在すると、悪影響を及ぼすからである。
「先ず隗より始めよ」を率先垂範すべきは、いつでも、「えらいひと」からなのである。
医師会は、このくらいの責任感を国民に見せるときは、いま、なのであるということをしるべきである。