医療産業とは「商売」である

こんな商売があるのか?とロマンをかきたてたのが、池波正太郎の『剣客商売』だった。

 

この「作りばなし」は、池波正太郎が惚れこんだ、歌舞伎役者の、中村又五郎がタイムスリップして江戸の町に現れて、「剣客」として、数々の事件を解決するという、まさに作家のロマンに読者が引きずり込まれる、という、これぞ「売文(商売)」の商品そのものであるのだ。

おなじ「売文」でも、「新聞」やら「記者」やらと名がつくと、略して「聞屋」と呼ぶ職業差別があった。
知ったかぶりとか、聴いてきたようなウソを書きたてて、「講談師」よりもインテリを装うので始末が悪いと嫌われたのである。

「お前、大学なんぞを出ても、聞屋にだけはなっておくれでないよ」とかと息子にいう、まともな母が激減して、いまどきは、新聞記者に就職が決まると、大喜びする母親ばかりになったのである。

「聞屋」の実態があからさまに動画になって、デジタル・タトゥーとして話題になったのが、安芸高田市の若き市長と、地元紙中国新聞編集次長と記者との、マンガでもあり得ないほどのトンチンカンなやり取りだった。
安芸高田市公式ユーチューブチャンネルでの再生回数は「前編」だけで、194万回(18日現在)になっている。

1日現在、2万7千人弱の市が、全国的に有名になった「作品」になっているのだった。
市はいかほどの収入になっているのだろうか?

その聞屋のなかでも、日本を代表する、「経済紙」は、むかしから「財界広報紙」と揶揄されてきた。

「経済紙」に加えて、いわゆる「一般紙」と、「スポーツ紙」という3つのジャンルがあるわが国の「聞屋」の世界で、「経済紙」だけが、ライバルの存在しない一社独り勝ち状態をキープしている。

ここでも、GHQの支配がみてとれるのである。

日本経済新聞社のHPには、「理念・ブランド」というタグがあって、さらに、「Our History」を選択すると、余計な宣伝文句がダラダラと書いてあるので、読まずに下までスクロールすると、また「History」が出てきて、「日本経済新聞の誕生」がおもむろに混じっている。

なお、最下段に「時系列で日経の歴史を見る」というリンクボタンも出てくる。

なんだかわざと隠しているのではないか?と勘ぐりたくなるが、その「日本経済新聞の誕生」をクリックすれば、冒頭、「昭和21年3月1日、戦時中の『日本産業経済』の題号が改め」、と出てくるのである。

この記載だけで、あとは読む価値がないほどに、GHQ支配の状況がマイルド化されて、あたかも自社の自由判断だという「作りばなし」になっているのである。

当然だが、GHQ民政局が支配した日本人の生活だったから、ライバル紙を作らせないと決めたのも、これでわかるのである。
GHQ様のお陰が、いまでも続いているけど、これを書かないのが「聞屋」だと、むかしの母はしっていた。

ちなみに、地方は、「地銀」とともに、「地方紙」がかならず、道府県に一社(都は特別)の独占となっているのは、国家総動員体制のなかで、GHQにも都合がいいから残ったのである。
それで、アメリカ軍政になった、沖縄には、二紙体制(琉球新報:明治26年創刊、沖縄タイムズ:昭和23年創刊)として、本土にない「民主主義」を沖縄にもたらしたことになっている。

なお、地銀としての都の金庫は、「富士銀行(公務部)」一行だったので、いまは「みずほ銀行」となっている。

さてそれで、あたかも未来ある「医療産業」と書いたのが、この「経済紙」だった。
これに追随したのが、「一般紙」で、一般紙しか契約していない家庭では、あたかも「常識」のように受けとめることにさせられるのが、これまたGHQが構築したプロパガンダの実態なのである。

なによりも、国民が間違えてはいけないのは、病院も診療所も、あるいは介護施設も、ぜんぶが、「商売」でやっている事実である。

変な刷りこみとなったのは、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(1958年3月~12月、「オール讀物」連載)だった。
これに、オバケ番組『水戸黄門』の枠にあった、『大岡越前』で、小石川療養所の医師を好演した、竹脇無我の爽やかさのおかげで、医療が商売ではなくてボランティアになったのである。

それで、一般紙の筆頭、朝日新聞が、「医は仁術」という、恐ろしくも間違った刷りこみを日本人にしたのである。
時は、老人医療費が無料(「税金化」されていただけだが)だった、よき時代のことである。

  

これで、時代劇と現実を混同するように差し向けたのである。

それからの例でいえば、『おしん』の義母、お清役を見事に演じた、高森和子に脅迫状が届くとか、佐賀県が、佐賀県民の性格はこんなひととはちがう、と公式コメントしたのも、ドラマと現実が区別できない、驚くほど情報操作が容易な日本国民の国民性に問題があるといえる。

そんなわけで、医者にいくと病気にさせられる。
医者は、保険点数表の中にある病気なら、なんでもいい権限を、医師国家免許で「皆伝」されているのである。

この点だけ、「赤ひげ」は、お節介な医師であった。
ちゃんと、仮病を暴いて、仮病をいった患者の心のなかまで診療したのである。
いまなら、仮病を見抜いても本人がいうからと、薬を出して売り上げとするのがふつうだし、眠れないからと、精神科とかなら本物の病気になるような投薬処方をされるかもしれない。

そして、そんな医者が、繁盛店の人気になるのである。

「敬老の日」ではあるけど、ちゃんと「敬ってもらえる」正々堂々とした人生だったかを、自己診断したいものである。

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