むかし夢の船舶として、「むつ」という名の原子力船があった。
いま、世界でも原子炉をつかって動かすのは、もっぱら「軍用艦船」ばかりで、航空母艦と潜水艦に採用されている。
もちろん、わが国にはない。
軍用で、建造・運用しているのは、
・アメリカ
・ロシア
・イギリス
・フランス
・中国 の5カ国で、国連の安保理常任理事国「だけ」となっている。
このひとたちにできて、なぜわが国でできないのか?
もちろん、軍用に限ってのことではない。
商用船での実用は、世界のどこ(アメリカ、西ドイツ、ソ連、日本)もやめている。
西ドイツと日本という、国連の「敵国」も開発していたことが印象にのこるのだ。
つまり、これら主たる戦争当事者の7ヵ国「しか」手をだしていない分野なのだ。
目線を「陸」にあげれば、たちまち「原子力発電所」となる。
軍艦に積極的採用をしているアメリカは、「スリーマイル島事故(1979年)」以来、新規建設に消極的になっていたけれど、2012年に承認されて話題になったものの、やっぱり積極的ではないから既存原子炉の稼働率はかえって上昇している。
その路線でいけば、ドイツは原発の全廃を2011年に国会決議=法制化し、暫時撤廃をおこなって、いわゆる、「再生可能なエネルギー」へのシフトを全面採用した。
これで、電力輸出国から輸入国となって、民間レベルでかつての4倍の電気代が請求されることにもなった。
一方で、積極的なのはフランスと中国である。
そのフランスは、チェコとともに電力不足のドイツへ電力輸出をおこなっている。
両国の「ドイツの電源」という立場は、相手の産業や生活の首根っこを押さえることになるので、なにかと強力に作用するのだ。
しかも、フランスの原子力発電は全体の75%ほどもあるから、ドイツはじぶんの原発をやめたけど、結局、原発で発電した電気を外国から買ってきて使っていることになっている。
こうした、おかしさ、に妙に賛同するのがわが国の体質で、さすがはかつての日独同盟の心の繋がりは生きている。
わが国で、電気自動車への転換に積極的なひとたちは、充電のための電気をどこで発電しているのかに頓着しない。
もちろん、いまなら政府から補助金がもらえるので、いつもらえなくなるかはしらないけれど、太陽光パネルで発電した電気で自家用車に充電するのが、「持続可能」だという。
その太陽光パネル製造に、どれほどの電力を使うかにもぜんぜん頓着しない。
「世界の大企業ランキング50社」に、わが国企業でランクインしているのは、とうとうトヨタ自動車「一社だけ」になった。
まるで大学ランキングのような姿だけれど、国際会計基準を基にするので比較ルールは厳密である。
都合がいいルールをつくることに長けているのは、なんといっても「アングロサクソン」だ。
人種はちがうけど、アングロサクソンとたいへん親和性がある発想をするのが中華思想で、こちらは「じぶんだけ」がルールだ。
そんなわけで、電気自動車への「転換」がトレンドになっている。
これは、世界の業界が、トヨタ潰しを図ったという状況証拠なのであるけど、わが国を貧乏にしたい経産省やその取り巻きの政治家たちは、電気だ水素だといって、やっぱり自国の自動車(内燃機関)産業をいじめるのである。
どこかで観てきたような構造だ。
発症直後から、「ワクチン開発」を推進したのに、そっくりなのである。
国産の開発がないのは、学術会議という政府てづからの政治団体が、生物科学兵器になるとして、研究させなかったからである。
とはいえ、そもそもウィルスの存在からうたがわしい。
「環境にいい」という甘言も、そもそもをかんがえれば、エネルギー保存の法則も、質量保存の法則も無視した、エセ科学なのである。
あの「3.11」から、10年経った今年。
結局のところ、事故処理がどうなっているのか?の情報はなかったし、どうして事故が発生したのか?の冷静で、コンセンサスがとれる報道もなかった。
少なくても、「津波」が原因ではないのだけれど。
それでいて、政府は原発を「安全が確認された」と強弁し、再稼働させたい。
3.11以前から、「原子力行政」には不思議があって、推進する立場の経産省内に「原子力安全・保安院」なる「規制担当」の役所があった。
事故直後、作業着のうわっぱを着て毎日記者会見していた「えらいひと」は、技術にうとい文系だったことがあとからわかった。
これら一連の「お粗末」が、文系エリートだけの情緒によって準備されていたものを、根本から変えた、ということになってはいない。
そしてとうとう、裁判で再稼働か阻止かがあらそわれるようにもなった。
裁判官は、とうぜんに「文系」である。
ドイツ人の「合理主義」は、情緒に流れているのか?
でも、日本人の「情緒主義」は、なにも変わっていない。
これが、原子力船を失敗させた、両国民それぞれの「習性」なのである。
だから、原子炉を「制御」できないとしたときの対応がちがう。
ドイツ人は、合理的判断として原子炉を棄てた。
日本人は、情緒的だから、電気代が高くなるのを嫌がる。
ドイツ人は、トヨタにかなわないことをしって、電気自動車を推進し、日本人はトヨタが潰れることはないと「信じ」ているか、無頓着で、無邪気に「欧米追従」している。
外国には、日本がいう、電気自動車の「阻止」もある。
外国がいう、電気自動車とは、バッテリー搭載自動車をいう。
日本がいう、電気自動車とは、静止衛星で発電した電力を直接自動車の屋根パネルに供給して自動運転するものをいう。
だから、貴重資源をつかうバッテリーを必要としない。
なるほど、原子力を日本人は制御できないから、宇宙で電気を制御しようというアイデアは日本らしい。
けれども、これにも外国がついてこれない。
世界のほんとうは、おそるべき「トヨタ生産方式」なのである。
情緒と論理が融合した「方式」を、真似ても「できない」からである。