日本人なら戸籍があるのがふつうなので、戸籍がない国があるときくと不思議におもう。
ところが、世界広しといえども「戸籍」がある国が珍しいので、わが国はまちがいなく「小数派」である。
では、わが国以外で戸籍があるのはどこか?といえば、じつは「中華民国(台湾)」しかない。
韓国は、2007年12月31日までは「あった」ので、一応かつての「大日本帝国」にしか戸籍はない、ということになる。
ちなみに、わが国の戸籍も戦後に変更されていて、「家主制度」はなくなった。
いわゆる、「家長」のことである。
それで、「公証制度」としての戸籍になった。
役所が証明してくれる、という意味の「公証」なので、戸籍をみれば家族のなかの位置づけがわかるようになっている。
つまり、「戸籍制度」の賛否とは、「家族制度」のはなしに直結する議論になる。
賛成派と反対派があって、あんがいと中間派(≒無関心、判断できない)も多数ある。
この意味で、賛成派はだいたい「保守派」、反対派はだいたい「進歩派」ということになる。
けれども、中間派のなかの「判断できない」というひとたちがわかりやすいのは、さほどに戸籍とはなにか?をふだんかんがえたことがないし、よくわからない、ということが本音にあるからだろう。
正直さがみえてくる。
さて、公証としての便利さはどこにあるのか?
じつは、本人死亡後の「相続手続き」にあるといっても過言ではない。
本人の出生(両親はだれか?兄弟姉妹は存在するか?妻はだれか?子どもはいるか?)から一生を追って、相続人の特定ができるのである。
家系図をイメージすれば、上下左右がみえてくる。
両親の兄弟とか従兄弟とかから、妻の兄弟とか甥姪とかだ。
外国にどうして戸籍制度がないのか?
世俗と教会での管理体系のはなしと、事務処理のストイックさの有無ではないのか?とかんがえる。
教会は「信者」を管理しないといけない。
それで、信者の出生から死亡までの一生が教会の管理になれば、世俗の方では徴税にかかわる管理になって、事務範囲がそれぞれに犯さざる分野としてきまるし、ぜんぶをひっくるめて管理することを、事務能力として限界を悟ったかもしれない。
くわえて、産業が農業中心だったので、土地の管理がひとの管理になった。
ヨーロッパの「農奴(serf)」は、この典型だろう。
人身売買の対象だった、「奴隷(slave)」とは区別する。
わが国だって、寺院には「過去帳」がある。
その寺院を管理した寺社奉行とは、宗教管理だから、人心と直結する重職だったのは当然だ。
もちろん、江戸時代のわが国は、大農業国家であった。
宗教が強い権威をもつ国では、宗教大臣がいる。
たとえば、エジプトは憲法でイスラムを「国教」としてさだめている。
憲法を遵守しなければならないのは、ぜんぶの公務中の公務員なので、イスラム教にしたがった行政がおこなわれている。
すると、戸籍にあたる、両親や本人の出生から死亡までの記録は、居住地域に属するモスクで管理している。
だから、どこのだれべいという証明はモスクにいって発行してもらい、それをこんどは役所にいって手続きすれば、パスポートの発給がされたりする。
もちろん、婚約から結婚などの手続きも、儀式とともにモスクでする。
婚約なら「婚約(結婚予約)契約書」をモスクの管理人=証人の署名もつけて交わし、結婚式では「結婚契約書」を交わす。
モスクはこれを管理する。
ちなみに、婚約のときの重大事項は、「離婚権の設定」である。
結婚予約契約書には、新郎新婦のどちらかが、この権利を保有すると明記され、将来の離婚申立の権利者がきまる。
だから、この権利を得るべく、新郎新婦双方の親ががんばって交渉するのだ。
生活上でのトラブルは、そのほとんどが「イスラム裁判所」で裁かれる。
「三審制」はあるけれど、イスラム裁判所は一審制だ。
さほどに、権威が高い。
法典は、とうぜんに「シャリーア(イスラム法)」である。
さてそれで、世界の「基準」をゆるがしているのが「同性婚」だ。
子孫ができないことを前提にする、同性婚は戸籍制度となじまない。
しかしながら、男女を基本とする伝統的宗教ともなじまない。
世界で推進しているひとたちは、宗教離れができたひとになるのである。
これは、キリスト教に顕著だ。
近代は、キリスト教の否定から生まれたともいえる。
それが、あたらしい宗教としての「科学信仰」だった。
しかして昨今の、「アンチ科学」が迷走を生んでいる。
よりどころとなる思想が、グルッと回ってルソーにもどっているかにみえる。
このことの危険性は、重大なはずなのに。
ルソーの狂気が、まともにみえるなら、それは、「破滅」だ。
もしや、現代の栄養不足が、人間の脳を破壊していないか?
脳が正常に作動しないのは、ミネラル不足という説がある。
いまの食品には、驚くほどにミネラルが含まれていない。
それは、土壌の貧困が原因なのだ。
社会の制度は、人間の脳がつくりだす。
戸籍の議論は、戸籍の議論だけをしても意味はない。