国勢調査ができないといいことがある

5年に一度の「全数調査」が、『国勢調査』である。
なんでも「全数検査」せよとか、「全国民にワクチン接種の希望を聞け」とかいうひとがいるけれど、驚くべき手間がかかるのが「全数調査」なのである。

手間がかかるというのは、費用もかかるという意味になる。
自治体の小間使いになっている、町内会や自治会の役員が、もちろん無償の活動で調査票を各戸に配ったとしても、回収や、肝心の集計にもたいへんな労力をつかう。

それでもって、10月7日の期限をむかえたので、今回の回収率が発表された。
62.6%
5年前の前回が、86.9%だったというから、なかなかの「落ち込み」である。

これの中身がどうなっているかを知りたいところだが、集めた数しかわからないから、どういうことなのかがわかるには時間がかかる。
仮説としては、
・コロナの影響
 ネットでも郵送でも、という選択肢が選択できないとか?
・外国人居住者の未回答
・まさかの個人情報開示の恐怖
とかが浮かぶ。

むかしは「義務感」があったから、なにがなんでも提出するのは当然で、きっかり10月1日という日付だけでなく、時計をにらみながら午前0時「きっかり」に記入していた。
空襲を経験したひとたちは、何が起きるかわからないと、期限のその瞬間まで記入をしなかったのだ。

これは大震災を経験していてもおなじだとは思うけど、肝心の「義務感」が薄れてきたことは確かだろう。
念のために書けば、国勢調査は「統計法」で「国民の義務」とされていて、「50万円以下の罰金」まであるから、忘れているひとは提出に「まだ間に合う」ので注意したい。

ところで、人口は増える、という前提に立てば「国勢調査」とは、いいかたもしっくりくるけど、人口が減るといういまの前提なら、「国衰調査」となるので、あんまり気分はよくない。だからといって、このことが回収率を下げているとはおもえない。

この調査は、「国及び地方公共団体における各種行政施策その他の基礎資料を得ることを目的としている」との説明が総務省HPで公式にされているように、「各種行政施策の基礎資料」となることに注目したい。

ここにも、三権分立の概念が怪しいわが国の姿が現れるのだ。

たとえば、アメリカ合衆国の「国勢調査」は、連邦下院議会の議員定数の割当を定めることにある。
わが国の下院(衆議院)ように、議院内の政治の都合では決められず、憲法に規定されている方式の実施のためにある。

ちなみに、アメリカの連邦上院議会は、各州から2名の議員を選出するとされているから、50州で100人の議員となっている。

もちろん、アメリカは行政府が各種施策を勝手にすることはなく、かならず議会を通過(賛成多数)した施策を実施するように定められている。
だから、わが国なら、国会内の会派によって国勢調査の調査結果が各種施策に利用され、それがさまざまな「法案」となるイメージになるから、現実はアメリカとぜんぜんちがってかけ離れているのである。

国が違うのだから、政治制度もちがうのは当然である。
しかしながら、たまには、外国がどうなっているかも知っていて損にはならない。

ましてや、敗戦によって全否定されている、明治憲法下でのわが国はどんな仕組みで運営されていたのかさえ、もうわからなくなっている。
徳川幕府を倒した政権だから、その統治コンセプトは、「反幕府」なのは当然としても、統治者の身分は「武士」のままだったとは以前に書いた。

それが、「下級」であっても武士の矜持だったし、士族からの役人登用が間に合わないとなって、農家出身でも東京大学卒業生を「新しい武士階級」と認めたのである。
後に、軍でもこれを真似て、将校養成学校を出たら「新階級人」になれた。

すべては、「お国」あってのことだった。

しかし、教育・研究者の最高峰であるはずの「学術会議」における体たらくを見れば、「反日」という思想でないと国内では「偉くなれない」という逆立ちが、見事に国民教育に反映されて、国勢調査にすら関心がない国民をつくっている。

これは、わが国政府には一大事である。
国家が作れと各界から要請される、さまざまな「国家戦略」の基礎となる統計の信用がゆらぐ。
すなわち、「日本版・計画経済」の基礎が揺るぎだしているのだ。

果たして、学術会議のみなさまのおかげで、計画経済ができなくなるというのは、まさに巨大ブーメランだ。
しかし、計画経済をうたいながら、改革開放で大成功した隣国は、その4000年の歴史で一度も国勢調査をやったこともない。

自国のどこに何人が暮らしているのかを知らなかったから、IT技術で把握を図り、たちまちにして個人情報を得たのがつい最近である。
なるほど、そうかんがえたら、わが国もいっそ隣国の真似をして、国勢調査なんか放り出し、改革開放をやればいい。

個人データがたっぷり埋蔵されているスマホを、国民が購入できる生活財力があるうちでないと、手遅れになりますぞ、とでも学術会議が提言すれば、すこしは役立つものかと国民も納得するだろうに。
噴飯物の「レジ袋の有料化」を提言した。

ところが、政権はもう先手を打って、スマホ利用者からのヒヤリングを総務大臣が直々に行っている。
わが国の学者は、なにを勉強しているのだろうか?

恥の上塗りとはこのことである。

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