世界的なコロナ禍が、どういうことかよくわからない。
日本国内だと、データがそろってきて、もう「ふつうの風邪」だとわかりだした。
いわゆる、重篤化して死亡するのは、おおむね持病があるひとが「風邪でこじらせた」のである。
その「こじれかた」だけをとりだして、「障がいが残る」とあおるマスコミ報道をどう信じたらいいのかは、もはや一般人には不可能である。
「専門家が大衆化」して、一般大衆を扇動するとおカネになる世の中にするのは、卑怯な堕落である。
個々それぞれの「持病」を説明してからの、「後遺症」ならまだしも、原因をぜんぶコロナにするから、あたかも健常者が感染するとどうなるかに聞こえるのだ。
しかし、個々人の持病の説明などぜったいにしないし、解説する医師や学者たちもこれを指摘しないから、堕落というのである。
医師は、「死因」を診断書にどう書くか?
WHOは、死の間際でもコロナウィルスがみつかったら、「死因」に加えるように全世界の加盟国に指示したので、持病が「癌」でもみつかれば、「死因」にコロナが加わる。
だから、医師が書いた死亡診断書を、どう読むか?という問題が発生する。
これを読むのは、遺族であって本人ではない。
でも、これを集めて資料にすれば、コロナでの死者数となる。
ならば、たとえば、元の持病はどうやってカウントされるのか?
先の例でいえば、癌でコロナに感染した場合である。
癌の病状と進行状態によっては、一般人の遺族だって、主たる死因は癌でコロナはオマケと思う例だってあるだろうに。
すると、死因に、癌とコロナが併記されたら、「集計」では、「癌」と「コロナ」が別々にカウントされて、気がついたら死者の数より死因の数の方が多くなる。
このへんは、どうなっているのか?
やっぱり、素人にはわからないから、ちゃんとした報道機関ならこれを報じるのが筋であろうに、国民から料金を取る放送局も、これをしないのは「詐欺」だといえるのである。
そんなわけで、体調を崩したひとがするものだった、マスク着用のエチケットが、あたかも社会全体に強要されるようになったのも、マスコミ報道の詐欺に集団が見事に引っかかったからである。
すなわち、マスコミの威力があまねく通じる、社会実験となった。
それで、政治家の心が完全に折れて、いかにマスコミに迎合するか?が、つぎの選挙に当選する基礎的条件になったのだ。
つまり、「マスコミ報道を制するものは、世間を制する」ことになって、これが世界各国に「感染」していたことも判明したのである。
その一例が、アメリカ大統領選挙だ。
すでに、マスコミが報じなかった出来事について、事前にしっていたら投票行動を変えたか?という調査が実施されていて、2割のひとが「変えた」との回答を得たと発表されている。
すると、トランプ氏の得票は、史上空前の9000万票を超えるレベルだったと「試算」できるのである。
ただし、こうしたひとたちを裏切ったことの社会的報復を、しでかしたマスコミに与えるのも「道理」というものだから、いろんな意味でこの選挙は注目に値する。
こんな事例は、いっぱいあって、国連のいう、「SDGs」推進もその典型である。
相変わらず、国連の基本理念である、『国連憲章』において、わが国とドイツは、「敵国」扱いを「条項」として明記されている。
それなのに、あたかもわが国が安全保障理事会の、「常任理事国になる」という論理矛盾もはなはだしい活動を行ってきた。
安全保障理事会こそが、わが国にはかつての敵国たちの、談合会議体である。
はたして、この「活動」に、いくらの国費を投じたのか?
これぞ、会計検査院が指摘すべき「ムダ」である。
外務省は、おそるべき金額を、実質的「遊興費」に散じたはずだ。
歴代、国連大使以下関係者は、私費で返還すべきものである。
しかし、なんといってもマスコミが、国連のことを大好きなのだ。
ここに、どのような「邪心」があるのか?
それは、国連こそが、グローバリズムの権化だからである。
かつてからの、彼らの憧れは、「世界連邦」なのだ。
世界各地の民族やその伝統文化を、口先でいうのとは裏腹に、ぜんぜん尊重も尊敬もしない本音のみならず、ほんとうは、これ以上ない侮蔑の目でみているのが、グローバリストのグローバリストたるゆえんである。
そこにあるのは、統一的で薄っぺらな、「ヒューマニズム」なのであって、利益優先の儲け至上主義がある。
これは、本来の資本主義ではない。
儲けるのは、一部の特権階級でしかない。
「多様性」とかいいながら、「統一」を最優先させる。
そして、反対者たちを、「正義」のもとに弾圧することに躊躇しない。
すなわち、共産主義なのだ。
国連事務総長が、わが国の「温暖化対策」を褒めてくださいました、と嬉しくて仕方がない。
まさに、喜びを全身で、シッポがあれば思いきりシッポを振るだろう態度で歓迎しているのは、「犬」とおなじだからである。
もはや、一般国民には、完全なる「アンチ・テーゼ」となり果てたのが、マスコミだから、かれらがいう「甘言」こそ、やってはいけない「正答」なのだと理解しよう。