簡単そうで難しいことのひとつである。
そもそも「地元密着スーパー」とは、地元の銘品を地元で販売する店のことをいう。
だから、地元に銘品がないといけない。
それに、それが銘品だとしっていても、地元の住民が買える価格でないと売れない。
「銘品は高いです」ではなくて、納得の価格設定が必要だ。
すると、仕入れ値との関係から、すぐさま赤字になることもかんがえられる。
ましてや、スーパーという業態は、基本的に食品を扱っているから、おおくが「生もの」になる。
売れ残ったら、たちまち「廃棄」の決定をしなければならない。
すると、いかほど「売れる」という量の「予測」を正確にする必要もある。
単価 × 数量 の数式内にある「項」を突きつめることができてこその「地元密着スーパー」なのである。
だから、あんがいと「地元密着スーパー」はすくない。
真似ようとしてもなかなかできないのだ。
それで「ふつう」の店は仕方がないので、低価格に走ることをやってきた。
いつからかといえば、顕著になったのはバブル崩壊以降の「デフレ」からである。
もちろん、価格破壊の代名詞だったのは、流通革命をやりとげた「ダイエー」だった。
しかしながら、全国規模の大企業にして、メーカーに仕入価格をいわせない価格決定権まで持ったのに、「多様化」という価値観の発散についていけず、とうとう消費者から「買いたい物を売っていない店」という評価になって世の中から消えた。
わずか30年あまり、文字どおりひと世代の「うたかたの夢」であった。
にもかかわらず、街の「ふつう」の中小スーパーは、「ダイエー・モデル」の「低価格路線」を真似てしまって、ずいぶんと破産・倒産・廃業した。
「安い」という「だけ」の地元密着スーパーの悲惨である。
買い物客は別の店に行けばいいだけなので、なくなってもあんまり困らないということも特徴にある。
ここが、小売商売のいちばん難しいところなのである。
さて、一方で、もっと業態として辛酸を嘗めることになったのは、「問屋」であった。
「複雑な流通経路」のなかの「無駄」という位置づけにされたからである。
基本的に、問屋は「B to B」なので、卸先がまたべつの「問屋」だったりした。
そうやって、だんだんと小売店に近接する。
この流通の「整理工程」上に、いくつかの問屋があったのは、それはそれで役割があった。
しかし、問屋を通過する都度にかかる「手数料」は、最終消費者の負担でもあったから、「無駄」と批判されたのである。
だから、流通に詳しい問屋からしたら、何も知らない消費者の横暴な言い分に聞こえたにちがいない。
この問屋を経ないで直接仕入れる、というやり方を「大量発注」の名分でやって、手数料を安くしたぶん売値を下げるというモデルが、ダイエーであった。
すると、ダイエーが行き詰まったのは、その有利とした「大量発注」が原因だとあらためて認識できるのである。
ところが、これまでの時間軸のなかで、こんどは問屋がいない時代になった。
「淘汰」という言葉のなかで、ほんとうにやめてしまった。
そんなわけで、小売に問屋の機能が必要になったのである。
これを、「情報化」といっている。
問屋は、その筋の情報屋でもあった。
品物の変化だけでなく、取引価格や取引先の変化も把握していた。
いわば、流通の要としての情報を問屋に行けば教えてもらえたのである。
問屋がない今、これを自社でやらないといけなくなった。
つまり、「小売」における要求機能は、30年前のそれとはおおきく違う。
難易度がより高度になっているので、おいそれと「実店舗」を開業できないのである。
これが、サイバー商店花盛りとなった理由である。
ところが、サイバー空間「だけ」では、消費者が満足できない。
人間とは、そういうものなのだ。
そこで、情報機能を併設した「地元密着スーパー」が繁盛する。
あそこに行けば、なにかある。
それが、必要品でなくていい。
生活の彩りとなる、「なにか」であればいいのだ。
その「発見」こそが、存在意義なのである。
だから、小売店には発見がないといけない。
つまり、消費者に「発見させる」ための「仕込み」という手間を売っている。
必要品ならなるべく安く買いたい。
それが、サイバー空間でも違和感がないのはこのためだ。
でも、「発見」がないことに飽きがくる。
これを、サイバー空間で追求するひとはすくない。
天気もいいし、たまには電車に乗って、ちょっと遠いけど「地元密着スーパー」にでも行って、地元民になりきってみる。
これも、リアルな観光なのである。