大衆に囲まれる「孤独」

「大衆」とはおそろしい者共だが、自分も確実にその中のひとりなのである。
だから、大衆批判とは、自己批判にほかならない。

そもそも日本では仏教用語として「大衆(だいしゅ)」があった。
僧侶の総称がはじまりだが、その後、僧侶にも階級ができると、無役の僧をさすようになる。
それがまた、僧兵になって暴れたけれど、時代が一気に大正時代になると産業革命で大量のサラリーマンと工場労働者を生み出して、これを「大衆(たいしゅう)」と呼ぶようになった。

つまり、不特定多数のかたまりをさす。

いまでも徹底している階級社会のヨーロッパでは、やっぱり産業革命で生まれた労働者階級を日本とおなじ「大衆」と呼ぶが、その素性はわが国とはちがって、おもに農奴(代々読み書きすらの教育をうけたことがない)の子孫だといえる。

落語なぞに登場するおマヌケな人物でも、多少の読み書きができるけど正式書類を書けないために訪ねた先での話が笑えるのは、自分事であったからだし、「代書屋」が「行政書士」になっているのも、この名残が変化したものだ。
むかしの「候文」を読むだけでなく書くことができるか?といわれたら、とっくに退化しているのである。

ヨーロッパでは、そんなおマヌケも存在しない無学の苛酷さがふつうだった。

そんなわけで、わが国と東洋の思想背景にある伝統と、西洋のそれはぜんぜんちがう伝統があって、対等=同価値に位置づけると勘違いしやすい。
明治の啓蒙主義は、おおよそこの勘違いの譜系にあるので注意を要する。

たとえば、西周や福沢諭吉は、国家存亡の危機にあたっての緊急避難として「脱亜入欧」を説いたのであるが、そこに幼少のころにたたき込まれた「儒教:四書五経=漢籍」の素養があったための「論」であることを意識しないと、読み間違える、のである。

当時の元武士階級の全部が、漢籍を常識としていたことを前提しにしている、ということだ。

つまり、明治政府が推進した「(初等)学校教育」で、こうした漢籍を完全排除したのには、速成で西洋に追いつくための緊急事態としての弁明があったけれども、漢籍をぜんぜんしらないでも政府高官になる時代がきたら、西や福沢を「文字どおり」でしか読めなくなって、その緊急事態性を忘れ去ったのである。

ゆえに、現代は、勘違いの上塗りを何層にも重ねてきた結果にあるから、オリジナルを発掘・発見するのには能動的な作業を必須とする面倒なことになっている。
しかも、「受験」において、こうした面倒は一切不要で、「文字どおり」の暗記力が問われるために、エリートこそがもっとも愚劣になる設計になっているから、社会全体が衰退するようになっている。

それはまた、マルクス系の教科書を暗記したお気軽発想の者共が仕組む、エリート支配のディストピア(彼らにとっては永遠の支配体制構築)への近道だからである。

そうやって、いま、EUは、壮大な全体主義の先行事例になっているけれど、憎っくきトランプやプーチンのために、このたくらみを大衆が気づきだして「反逆」がはじまっているのである。

この意味で、ヨーロッパの暗黒はわかりやすいが、中途半端に塗り重ねてきて、まだ大衆が思考停止の快適を貪っているのが日本人大衆だ。

なので、ここに「孤独」をあじわう、わたしなる個人がいる。

「孤独」については古来いろいろ考察されてきたのが人類の歴史にある。

ソクラテスは孤独の中に死んだし、ショーペンハウアーは孤独と自殺の関係を喝破したので、その影響を受けてか、芥川龍之介が昭和2年に37歳の生を断っている。
ちなみに、芥川18歳のときに、『意志と表象としての世界』が本邦初翻訳として出版(1910年:明治43年)されている。

しかし、芥川の幼少時に愛読したという『西遊記』における、「不死」にまつわる話は、何世代にわたって他人の人生の「輪廻転生」を体験する物語のなかに、虚無(ニヒリズム)的な要素がちりばめられていて、これをいかに乗り越えるのか?が天竺に到着してからの話となるのは日本的にアレンジした『煩悩☆西遊記』の核心なのである。

孤独をたどると、わが国では弘法大師空海にいきつく。

空海の言いきかせることを自己制御というならば、タガがはずれたか、自ら安易にタガをはずしたかして、どんどんと「大衆化」してしまう友が多数になって、無勢なのが自分だけと気づいたときの孤独感は、齢を重ねた人生ではじめて感じるものである。

そんなはずはない。
話せばわかるはずだ。
が、ぜんぜん通じなくなって、かえって相手を不機嫌にさせているのは、自分が異常なのか?

「孤独死」が社会問題になっているというのも、本当はどこまでの「孤独」なのか?
ひとりで逝っていて、最期を看取る人がいないことが孤独なのではなくて、大衆化した多勢にこれを拒否したい無勢となることが孤独なのである。

だから、大衆化を拒否する意思のある同類の人物との出会いを求めるのは、当然なのであるけれど、なかなか新規がみつからない。

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