「ドミニオン」という選挙の投票集計機に不正があるとの疑いが、大統領選挙の突破口にして決め手にもなりそうな勢いである。
ただし、集計機そのものよりも、この機器を制御するソフトウェアの方が、もっと怪しい。
「ドミニオン(Dominion)」とは、キリスト教でいう、数ある「天使」のなかの「中位階」のなかの「主天使」というややこしい位置づけにおわします天使をいう。
使徒パウロが書いたという、「コロサイの信徒への手紙」1章13節(『新約聖書(新共同訳)』)には、
「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」とある。
トランプ氏の、「法務三銃士」のひとり、シドニー・パウエル弁護士が、この節を引いてツイートしていたことを、大紀元エポックタイムズ・ジャパンが22日伝えた。
上述の英語版として、彼女が引用したのは以下のとおり。
”For he has rescued us from the dominion of darkness and brought us into the kingdom of the Son he loves”
ちなみに、日本における聖書の英語版には、”dominion” はない。
お詳しい方に、是非教えを請いたいばかりである。
なお、コロサイとは、いまのトルコの西側でアナトリア半島のエーゲ海に近い内陸部を指すらしい。別のいい方だと、「小アジア」だ。つまり、イスタンブールのボスポラス海峡の東側だから、まさに「アジア」の領域になる。
けれども、「闇」に「dominion」が関係していることを示唆することはあるのだろう。
建国以来初となる「アーミッシュの政治参加」のことでも書いたが、今回のアメリカ総選挙では、なんだか聖書が関係している。
これも、やっぱりアメリカ合衆国という国の成り立ちが、キリスト教(プロテスタント)を中心にしたひとびとによることの証左なのだ。
しかしながら、「天使」というのは難しい概念で、「堕天使」といえば、「サタン」になってしまう。
それに、イスラム教だって「天使」が存在する。
神の啓示『コーラン』をムハンマドに伝えた、「大天使ガブリエル」がそれだ。
アラビア語的には、「ジブリール」。コーランは、『クルアーン』と発声する。
キリスト教で、天使ガブリエルといえば、なんといっても、「受胎告知」だし、『ヨハネの黙示録』による、「最後の審判」でラッパを鳴らして死者を復活させるのもガブリエルなのだ。
あぁ、「ラッパ」がでてくる。
アーミッシュが、トランプ氏を「救世主」と認定したのが、「trump」が「trumpet」の意味だからであった。
日本でいう、「ラッパ(喇叭)」の語源は諸説あって、オランダ語からとも、サンスクリット語からともいわれている。
それにしても厄介なのは、世界の報道機関で、もはや、トランプ共和党陣営が「外堀を埋めつつある」のに、相変わらずバイデン政権の準備を報道していることだ。
この閣僚名簿に載る名前は、ぜんぶ怪しい人物だという、変なメッセージになっていることに、載せられた本人も気づかない不思議がある。
不幸なのは、地上波しか観ない情弱の日本国民が、すっかりトランプ=悪、バイデン=善に洗脳されてしまったことだ。
しかも、アメリカも日本の選挙と「おなじ仕組み」だと思わせているから、負けを認めないトランプ氏が、なっちゃない、という評価に国論を誘導していることも疑問におもわなくなっている。
これは、放送詐欺である。
印刷物の新聞に適応される直接の「法」はないけど、少なくとも、「放送法」には、しっかり抵触するはずだ。
天から降ってくる「電波」とは、帯域が有限なので、まちがいなく「国民資産」である。
アメリカ本国での本選挙「不正」に、おおくのアメリカ人が怒りの声をあげはじめ、その矛先は、ちゃんと大手マスコミにも向かっている。
党派を超えて、「事実を報道しろ!」という運動になっていて、CNNの経営が急速に悪化している。
親会社のAT&Tはどうするのか?
わが国には、隣国の大国から、外務大臣がやってくる。
「戦狼」なのか、「柔軟」なのかはしらないけれど、見事な「すき間」を狙った外交であることは間違いない。
「何回も欺されてくれる」
わが国の「白痴ぶり」に、おもわず漏らした彼の国高官の本音があった。
『収容所群島』でノーベル文学賞のソルジェニーツィン氏は、各国からの批判に耐えかねた当局が、「国外追放」という処分をしてアメリカに落ち着いた。
アメリカ側は居宅周辺の警備を怠らなかったから、なんだか行動は不自由だった。「暗殺の危険」とは、実質軟禁されてしまうのだ。
そんななか、初めての外遊先に彼が選んだのは、日本だった。
1982年(昭和57年)に来日し、記念講演やらテレビ出演(「NTV座談会」)をした。
『日本よ何処へ行く』(1982年、原書房)は、このときの「全記録」である。
本書冒頭の「寄稿論文」は、読売新聞朝刊に同年10月23日に掲載された転載で、テーマは「国が変わっても、共産主義の本質は変わらない」だ。
続く「記念講演」(「現代日本の選択」同年10月9日、於東商ホール)と併せて読めば、ソルジェニーツィン氏のいう「警告」が、いま、そのまま「現実」になっていることをハッキリと認識できるから、本書は、「タイムカプセル」だ。
当時はまだ、こういう情報を新聞は掲載し、テレビも討論会を放送していたのだ。
天から降ってくる「天使」は、いたのである。
あらためて、いまは「なんなのか?」と痛感する。