中学・高校時代の修学旅行以来、奈良市の中心街を観光するのは「うん十年ぶり」だし、ましてや自家用車でやってきたのは初めてになる。
ここで体験してみえてきたのは、奈良観光の難易度の高さ、なのである。
まず、たまたま日程が週末にかかったことで、奈良公園周辺の渋滞を指摘しないといけないし、宿の駐車場問題が深刻なのだ。
これは、地方にあって当たり前の、乗用車がないと生活できないことと重なって、圧倒的な市街地への流入に対して、これをプールする場所すなわち、面積がないことが原因だ。
古都として、都市設計にはなから駐車場が用意されないのは当然だ。
それで一時、中心部にクルマを入れない策が採られたというけれど、見事に失敗していまに至っているという。
生活空間と観光地が混じっているので、この失敗は想像に難くない。
さらに、「奈良」の場合、都が「京都:平安京(ヘブライ語で「エル・サレム(シャローム)」)に遷都されて以来、ずっと「旧都」だったばかりか、斑鳩宮とか藤原京とかの「飛鳥時代」があって、その前は「古墳時代」がある。
こんもりした山は、みな古墳に見えるが、それがまた「当たり」なのだ。
なので、平城京に至るまでだけでも、ややこしいのである。
そのややこしさを整理しながら観光しないと、なにを観ているのか?がわからなくなる。
つまり、あまりにも分散して点在しながら、時代区分もとぶのである。
これが、京都の一貫性とぜんぜんちがう点だ。
だから、「奈良ファン」にとって、訪れるたびに発見がある、というのは大袈裟ではない。
しかしながら、このことは奈良観光の難易度そのものを言い当てているともいえる。
そして、こうしたややこしさを整理した観光案内が滅多にないのである。
明日香村の飛鳥にある、奈良県立万葉文化館(元は「国立」だった)は、地下の展示は無料で見学できる。
ここに、「壬申の乱 奈良エリア」と称する、マップが展示されていた。
大海人皇子が吉野宮を脱出するところを「1」として、奈良印傳のある菟田が「2」とはじまって、「8」まで続く。
本稿は続く。