前回の続き。
「壬申の乱 奈良エリアマップ」のような、「観光コース」を紹介したのは画期であろう。
けれども、順番通りに巡ると行ったり来たりするために、観光の移動効率をかんがえると、どうしても公共交通機関では面倒になる。
それがまた、自家用車の「必要」となって、狭い道が渋滞する。
レンタカー人気もおなじ理由だ。
路が狭いのは、徒歩や馬での移動をもってよしとした歴史背景が、今度はムリに拡幅しなかったことでこうなった。
逆に、開港150年という、ついこないだに埋めたてられた新地にすぎない横浜を想えば、関東大震災や空襲で焼けたチャンスを活かせずに、また都市計画も間に合わなくて勝手に家が建って、街が膨張したことになったことからすれば、まだ、「計画的」なのである。
とはいえ、現代的にいわざるをえないのは、観光事業者がこの難問を解決する唯一の存在だということだ。
しかし、そんな「存在理由」を、どこまでまじめに意識しているのか?が不明の業界のままなのだ。
それに、「奈良・京都」というけれど、現代奈良の観光中心地は、ぜんぜん「都」があった場所ではない。
ときの国家が建てた、総国分寺としての東大寺に、興福寺、春日大社という藤原氏の寺と神社がつくった、「巨大な寺町」なのだ。
この寺勢力を、徳川幕府も無視できずに、「奉行所」を置いた。
これがいまの、奈良女子大学になっている。
正式には、「南都奉行所」で、奉行職は幕府「遠国(おんごく)奉行」の系統にあって、首座は「長崎奉行」だった。
幕府直轄領(御料:幕領:天領)のうち重要な場所に置かれ、その土地の政務(行政・司法:裁判・寺社の管理)をとりあつかった。
それで、「旧奈良監獄」も近くにある。
ここは、明治4年に奉行所内に「奈良監獄」ができて、1909年に完工していまの場所に移転した。
戦後の1946年に、「奈良少年刑務所」となって、2017年に廃庁した。
2017年に「重要文化財」に指定されたけど、例によって、日本建築学会も「要望書」をだしている。
同時に、法務省は「運営権売却」先として、外資系ソラーレホテルアンドリゾーツ(米国再生ファンド「ローンスター」配下)が組んだコンソーシアムに決まって、ホテルになることが決まった。
ソラーレが撤退して、星野リゾートがこのコンソーシアムに参加している。
高級ホテルとしての開業は、いまのところ2025年の見込みだ。
奈良にはこれといった高級宿泊施設が、奈良ホテル以外に「ない」ことから、富裕層が泊まらないにはじまって、富裕層が来ないになった。
その富裕層のおおくは京都に泊まるのが、「定番」だというけれど、世界レベルの超富裕層は、そもそも日本に来ないという大問題がある。
行政が介入して、「民主主義」をいうから、それが、「共産主義」に転換されて、なんでも「平等」を旨とした「格安」が嗜好されるからである。
そんなわけで、「奈良」という僧侶と商人の街が、廃都平城京の奈良でもあって、もう公家もいなかった。
近鉄奈良駅ロータリーの、「小西さくら通り」商店街を抜けると、三井住友銀行奈良支店のある「三条通」にでる。
これを横切って直進すると左手すぐに、「勇人神社」の小さな祠があって、ここに、この路がかつての「街道」で両脇に、「豪商」が建ち並んでいたとの案内板がある。
この情報を意識しながら歩くと、いまはむかしを彷彿とさせるのは、「駐車場」としてみえてくる。
中でも、「奈良市立第一小学校」だった、いまの「椿井(つばい)小学校」は、1876年(明治9年)に、椿井町の酒造「菊屋長左衛門」の屋敷跡とあるから、その繁栄ぶりがみえてくる。
すると、なぜに商家がかくも没落したのか?という疑問の方が、いまの全国における地方の衰退にも結びつく疑問になる。
一方で、ならば奈良中心部の繁栄を支えているのは、いまだ「寺社」という結論になる。
その象徴が、東大寺・興福寺・春日大社といいたいところだが、じつは「元興寺」なのである。
いまや町歩きで人気の、「奈良町」は、そのほぼ全域がこの寺院の敷地だった。
それがわかる大地図が、無料開放されている「ならまち格子の家」にある。
その奈良町界隈を歩いてみれば、数多くの廃屋があって、どこか異様な雰囲気もあるけれど、これを再建して「カフェ」にするなら、それはそれで、「活性化」というのだろう。
しかして、奈良公園を中心にした「エリア」の駐車場は、驚くほどの料金である。
平日と週末・祝日の料金差は3倍。
管理人がいて料金表示看板を人手で出しているところでは、自動車のナンバーをみて料金看板を差し替える、あからさまもあるという。
梅棹先生が指摘した、観光事業者(この場合は、観光客を相手にする駐車場経営者)による、「掠奪」は、中世の経済体制、「前資本」そのものだともいえるのである。
これが、寺社に依存して「ぶら下がっている」ことの意味である。
有名観光地なら、全国どこにでもあることで、青森の「ねぶた祭」における、ホテルが設定した駐車料金の高額が話題になったこともあった。
すると、衰退と駐車場料金には、なんらかの相関関係があるかもしれない。
たんなる、需要と供給の原則ではない。
狭隘な路がおおい歴史地区の生活者のための駐車場経営と、観光客のための駐車場経営は、なんだかなぁのちがいがあるのだった。