おとなと子どものちがいが,年齢だけ,になってしまってどのくらいたつのだろう?
二十歳で「成人」だったものを,十八で「成人」だというから,おとなが若返るようにみえる.
「元服式」がいつ途絶えたのか?とかんがえると,それはやはり武士社会が崩壊したときにさかのぼるのだろうが,ずいぶん頑張った家もあるだろう.
幕末の「隠れた英傑」といえば,なんといっても橋本左内である.
彼が元服した十五のときに,有名な『啓発録』を書いている.
これは,「本日,『こどもを捨てる』元服式をしたものの,『子どもの良さは純粋な心にある』から,今日からおとなになれば,いつか自分も『純粋な心』をわすれたおとなになるかもしれい.自らそれをいさめるために書いておく」といった内容から書き出している.
十五歳といえば,いまでは高校受験をひかえた中学生である.
かつての「教育」が,いかに優れていたかをしる材料でもあるし,現代教育の「退化」をしる材料でもある.
しかし,優れた教育は学校だけでおこなうものではなく,家や社会がちゃんとしていることが条件だと教えてくれる.
越前福井藩の藩医の子息だったが,当時,「藩医」の身分はけっして高くない.
しかし,この時代の特徴で,家老がその才能を見ぬき,藩主松平春嶽の秘書役に抜擢する.
コンサルタントの神様,二宮尊徳も,小田原藩家老家の財政再建に成功して,この家老が藩主に藩の財政再建を担うようはかり成功させた.
家老から紹介され,はじめて左内を見た松平春嶽とて一瞬ひるんだという逸話がある.
名君にして英邁な春嶽すら,「子どもじゃないか」と.
ところが,名君の名君たるところ,左内の才能を見ぬくと江戸に帯同させ,徳川将軍に紹介するという,当時としては「暴挙」を敢行する.いかにご親戚筋とはいえ,家臣を「献上」したのだが,なんと将軍もこれを受けた.春嶽を信用してのことだという.
幕閣になった左内が書いた建白書に,「内閣」の概念があった.
それで,首相に相当する「大老」が首班として,各担当老中をチームで率いることを提案し,さらに,「大老」には井伊直弼がふさわしいと「推薦」している.
現実に大老となった井伊直弼の,「安政の大獄」で,左内は逮捕される.
獄中,「啓発録」を取り寄せ,自ら「朱」を入れることを所望しゆるされた.
最後のページに「コレデヨシ」が,残った.
納得の人生は,享年二十五歳.
人生における子どもの時代がどんどん長くなって,とうとうおとなとの区別がよくわからなくなった.
おとなは子どもを「子ども」としてみる目をうしない,「指導」をやめた.
とうとう,かわいい「ワンちゃん」とおなじになった.
「かわいい」「かわいい」で,いいのである.
ましてや他人の子どもなら,どんな悪さをしても見なかったことにする.
いちいち小言をいうのも面倒だが,もっと面倒なのが親だからだ.
どんな文句をいわれるか,よかれがあだとなって返ってくるなら,こんなばかばかしいことはない.
「どうせコイツの人生なんて知ったこっちゃない」のである.
こうして,「要求の自我」という本能がのびのびと育成される.
要求の自我の「自己抑制」ができるひとを,おとなというから,おとなにならないように育てるという滑稽が,日常になった.
これらの根拠はどこにあるのか?
もしかしたら,ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」や「人間不平等起源論」かもしれない.
ルイセンコ化した教育学者たちが,狂人ルソーのお先棒をかついでひさしいのがわが国である.
教職につくものに「必読」としてエミールを「強要」させるのは,世界でわが国ぐらいだろうし,ルソーを「偉人」として見るのもわが国ぐらいだろう.
しかし,わが子を厳冬の屋外に放置して,死亡すると「生きる力が弱い」などといってはばからず,5人が犠牲になっている.
この「厳しさ」は,さすがに実行するものはいない.
どんな状態に「なる」とおとななのか?
どんな状態の「まま」だと子どもなのか?
明日は「こどもの日」.
もはや「全」国民の祝日なのかもしれない.
おめでたいことである.