この間、わが家も愛車のタイヤを悩んだ末に交換したら、意外な「履き心地」がわかってきた。
「静粛性」は優秀だけど、「燃費」はイマイチというパンフレット通りで、クラス最高級タイヤとの価格差は、走行距離30,000㎞として、仮に燃費1Lの違い、ガソリン150円で計算したら、微妙な「総額」になるのである。
もちろん、ガソリン価格が大きな要因だけど、体感する「燃費差」にこれだけの違いはあると確信するから、バカにならない。
要は、初期投資として高額でも、燃費の効率性でその価格差自体が逆転する可能性だってある、ということが改めてわかった。
ならば、素直に、クラス最高級タイヤを選んでも、「高い」ということにはならないどころか、却って「安く付く」可能性まである。
すると、この「クラス最高級タイヤ」とは、まさに「高性能」ということで、数万円をケチったことにいまさら「失敗」の予感をもっている。
あえて書くまでもないけれど、見送ったクラス最高級タイヤとは、ブリジストン製のものである。
新車に装着してあったのも、ブリジストン製だったから、性能を「同じ」として、気づいたのが「燃費」だったのである。
ただし、タイヤ専門店の説明によると、同じメーカーの同じブランドでも、新車に装着されるのは一般販売されているものとは「違う」というから、ややこしいのだ。
もちろん、タイヤの溝がなくなってきて、交換時期がきているのだから、新しいタイヤにしないといけないし、むかしのCMにあった「タイヤは命を乗せている」最重要部品だから、「安ければいい」という選択はない。
選んだ別メーカーの「静粛性」に関しては、概ね満足だから、「静かさ」を買って消費しているのである。
それ故に、新製品の「クラス最高級タイヤ」だったらどうなのか?が気になるのである。
さりげないタイヤではあるが、その製造にあたっては、とてつもないノウハウが投入されている。
ゴムの材質はもちろん、溝の形状だって、どれほどの苦心があるものか?
乗用車には1台で4本が絶対に必要だから、自動車の時代を見越して「タイヤ」を作ると決めたメーカーの「先見性」は、見事だといえる。
自動車メーカーは、いまだに自社でタイヤまで生産していないのは、まさにリカードのいう分業の有利さを証明している。
日本はもとより、世界のトップランナーにあるのは、ブリジストンであるけれど、今年は中国の工場を閉鎖していた。
「計画経済」なのに、国勢調査をやったことがないというのはどういうことかわからないけど、ソ連の「グラスノスチ(情報公開)」ができなかったように、政府がいうあらゆる「数字」の信憑性がないというのも、「お国柄」である。
しかし、「共産主義」は「奴隷制」を伴うので、「身分確定」をして社会が安定モードに入るという特徴がある。
支配者階層(党員:約1億人)と、一般人(技能層:約4億人)と、奴隷(その他:約8億人)である。
彼の国の「総人口」が巨大なので、自由圏から見たら「13億人市場」に見えるけど、西側の高品質製品の購買層とは、支配者階層と一般人までしかいない。
最大人数になる奴隷層は、徹底的に身分を固定(永久)する制度だから、未来永劫、体制が続く限り購買層にはなり得ないのだ。
つまり、多く見積もって「5億人市場」なのである。
それが、「飽和状態」になった。
しかも、党の権力闘争で、相手派閥の系統にある産業いじめという政策が堂々と採用されていて、なんとこれを「批判」する記事が、つい先日、「人民日報」に掲載されて話題になっている。
そんななかでの、ブリジストン工場の撤退とは、いったいどんな「市場分析」をしたのか聞いてみたいけど、ブリジストンの「プレスリリース」には、中南米に工場投資をすると説明があるだけだ。
ちなみに、対象市場は北米で、対象車種は「EV」だという。
その「EV」の「電池工場」を撤退させて、フランス本国に帰ると、シトロエンが発表した。
EV(電気自動車)は、いまのところ「電池」に充電しないと走れないことになっているから、これも「市場分析」の結果だろう。
一方、世界のトヨタは、EVへの全面移行をするらしいけど、「電池式」と「受電式」との二種類が考えられる。
受電式とは、宇宙での「発電衛星」等からのマイクロ波を屋根に受電して走行するという方式で、貴重資源を要する充電池をつかわない。
電磁波による健康問題は横にして、これを、どこで作って実用化するのか?という問題がある。
もちろん、「地球環境」も抜きにすれば、現状の内燃機関がもっとも効率的なので、「経済に優しい」ことは無視した話である。
そんなわけで、日本企業だけでなく欧州企業の撤退も密かなブームになっているけれど、留まる企業は投資を増やすという「二極化」になっている。
こうしたことに、敏感なのは「株式市場」になるのだが、わが国の株式市場は、日銀が買い支えるという社会主義で、上海市場のように「恣意的」なのだ。
だから、やっぱり日本企業でも「ニューヨーク市場」を見ないとわからないことになっている。
東京や大阪で「国際金融センター」になる、とは、「たわごと」あるいは臨終前の「うわごと」に過ぎないのである。