金融緩和をガンガンやっても、いっこうに経済がよくならない。
空き家がふえるばかりなのに、新築の住宅はもっとふえている。
なにをかくそう、担保がとれる住宅ローンしか安心の貸出先がないもんだから、緩和してあまったおカネは住宅投資だけにしか向かわないのだ。
けれども、35年ローンを組めるのは、正社員か公務員ぐらいになってしまって、並の職業人ならひるんでしまうような将来不安につつまれている。
政府の経済政策が、社会主義計画経済という「カス」だからである。
その不安が「少子」になってあらわれている。
コロナウィルス禍は、たんなる「引き金」で、経済悪化の「原因」ではない。
この国の経済悪化とは、無理クリに支えようと政府が自由経済を否定して、日銀にやらせたトンチンカンが日銀の経営を破たんさせようとしていることに象徴される。
むかしは、「協調介入」なる用語をもって、為替相場の維持に各国政府が中央銀行にやらせていたものだが、民間資金がまさる世の中になってから、為替介入はかえって「経済をゆがめる」ものと認識されて、もうできない。
仕方がないので、国内で「介入できる」株式相場をいじくって、株高というイリュージョンをつくりだしが、とうとう「タネ」がばれて、兆円単位の含み損があると、日銀総裁があっさりみとめたから、ヤクザの開き直りも青くなるほどの、わが国「エリート」の堕落をみた。
こんなレベルなら、日銀総裁は、小学生の子どもにもつとまるけれど、いまのひとは「財務官」という要職にもあったから、財務省のレベルもしれるという「被害」が発生している。
つまりは、わが国の「エリート」が、じつは役に立たないと自分たちから国民にしらせているのである。
そんなわけで、この国はとっくに「不動産バブル」状態になっている。
それが、こたびの「ウィルス禍」ではじけるなら、いったいどこまでの「下げ」となるのか?
株の次は、不動産と相場はきまっている。
安くなるからいい、とはいかないのは、ただでさえ日銀のマイナス金利政策で疲弊している民間金融機関の融資先が「なくなる」というパニックがはじまるからだ。
「貸してなんぼ」の貸金業が、貸出先をうしなえば、それは「業」として成立しないことを意味する。
つまり、メガからはじまって、地域の金融機関が消滅すれば、公共料金の支払いにだって苦慮することになるし、そもそも、国民経済の「血液」にあたるおカネがまわらないとなれば、それは経済の「死」をもまねく重大事である。
政府の失策によって殺される。
これはなにも「戦争」だけでなく、「経済政策」でも起こりうることを示してくれたことは、不幸中の幸いである。
次世代の日本人に、痛い教訓を残すことまちがいない。
山梨県の温泉からの帰り際、前から気になっていた「コモアしおつ」に立ち寄ってみた。
トンネルを越えると、そこは別世界のような住宅地で、珍しいほどに一区画が広く、首都圏ではかんがえられない70坪ほどが平均か。
山の上にあるというから、日本のマチュピチュとも表現されるらしいが、わたしにはヨルダン川の渓谷西岸の山上にあるイスラエル占領地にみえた。
35年ほど前、イスラエルを旅したとき、通りかかったクリーニング店のアラブ人親子が、日本人ならといって、占領地の住宅街を車で案内してくれた。
みごとな区画の一戸建てや低層階の集合住宅がならぶ街並みをみながら、中心にあるスーパーマーケットで、かれらもうれしそうに買いものをしていた。
アラブ人だから地域に入ることもゆるされない、ということはぜんぜんなかったし、検問すらなかった。
むしろこの親子は、アラブ人にユダヤ人のような計画性があれば、もっといい暮らしができるものなのに、とボヤいてみせながら、ユダヤ人の入植地は素晴らしいけど、日本人がつくる街はもっといいにちがいないといっていた。
ここは、JR中央線の四方津駅から、「コモアブリッジ」という長大なエスカレーターと傾斜エレベーターで直結されている。
ざっと1700軒がたつ街だけど、このインフラの整備と維持のために、どれほどの負担があるのか?
このブリッジ横に、スーパーマーケットと地元信金のATMがあったから、やっぱりヨルダン川西岸のイスラエル占領地と街の構造がそっくりだ。
居住時に百万円、月額6500円は、コモアブリッジ・CATV・自治会費だと案内にあった。
しかも、景観をまもるため、さまざまな「建築制限」も協定にあると書いてある。平成バブルの賜とはいうけれど、なるほど傷んだ家が一軒もなく、庭の手入れが行き届いているのは、ある意味日本らしくない住宅地だ。
この協定がもっと厳しくなればスイスのようになるだろうけど、緩くなれば自壊する。
すると、一時金は別として、月額では11百万円ほどしか集金してない。
これで、維持できるのか?おそらく、ギリギリの攻防が町内であるのだろう。
ほんとうは、「改札」を設けて、利用者から直接徴収したいのだろうけど、そうなると「鉄道法」に引っかかるのだろう。
運輸局への許可申請だけでも、気が遠くなる。
あれやこれやと条件をつけられて、いまよりずっとおおくの「無駄な支出」を強制されるから、やりたくてもできないのだろう。
国の全国一律行政が、特異な開発地の例外的住民生活を苦しめるのである。
しかし、地元選出の議員とて、中央官庁に手を出すのがリスクになる。
こうして、どうにもこうにもならないのが、わが国なのである。
アラブ人の親子を裏切るようで、申し訳ない。
見学をおえて、遅いお昼は厚木になった。
天気がいいので、飲食店周辺を散歩したら、地元不動産屋の窓に貼っている案内をみた。すると、お手軽な物件があった。
近所なので、歩いていくと、何カ所もミニ開発がおこなわれている。
ああ、これが今期バブルの最後なのかもしれない、とおもいつつ、あわてずにちょっと様子見が妥当なのだろうとかんがえた。
次の、二発目の「引き金」は、きっと東京オリンピックにかかわる、なんらかの決定になるかもしれない。
これも、「引き金」にすぎないのではあるけれど。