こないだ紹介した『TIME』誌の2月4日号の記事、「The Secret History of the Shadow Campaign That Saved the 2020 Election」で、民主党勝利の「手柄」についてさんざん自慢したばかりであったけど、こんどは、いつものように「内輪もめ」を開始した。
ただし、この記事で持ち上げられた、「最大の功労者=全米労働組合」は、早くも新政権が打ち出す政策で、「大量失業」の窮地に追いこまれてしまっている。
誰のために?何のために?
組織をあげて不正をしても、正義のためなら法を侵しても許される、という図らずも「不正」の事実だけでなく、病気の利用やらなんやらという「手口」まで記事にして公開したのは、勝者の奢りとしかいいようがない。
さほどに、この選挙の勝利とは、勝者に多大なメリットをもたらすものに違いなかったはずなのに。
あゝそれなのに、それなのに、アメリカ人は失業し、不法移民を留めおくとは。
いまさら残念ながら、労働組合は、利用されるだけ利用されて、あっさりと棄てられた。
どういうわけか、暴動をしていたひとたちも、「カネよこせ」と叫んで、こんどは民主党への攻撃を開始したのも、金の切れ目が縁の切れ目ということで、利用されただけだったことに気がついた。
こんなことなら共和党を支持すればよかった、と遅きに失したけれど、間違いに気づいたのは不幸中の幸いだ。
アメリカが生んだ偉大な経営者のひとりであり、「経営学」の祖のひとり、チェスター・バーナードの唱えた「協働」を、経営者として実践してきたトランプ氏に気づかなかったことの不明が、いまの労働組合にブーメランとなったことが骨身にしみたことだろう。
1980年に日本でも大ベストセラーになった、フリードマン夫妻の『選択の自由』は、どの書店にも山積みされていて、当時のサラリーマンがこぞって読んでいた。
もしや、その後にやってきた、「バブル」とは、フリードマンの直截な表現を誤解したからだったかもしれない。
それが「反動」となって、「新自由主義=憎し」に変換されたなら、辻褄はあうけど、「読解」に値しない「誤解」のままという恨みがある。
シカゴ大学で同僚だったハイエクは、フリードマンと一緒に扱われることがよくあるのも、「誤解」である。
ハイエクの深みは、フリードマンの荒っぽさと一線を画す。
ただし、フリードマンの文章は、ハイエクよりずっとわかりやすい。
ハイエクの著作『自由の条件』をカバンからだして首相就任記者会見をはじめたサッチャー氏とコンビを組んだ、レーガン大統領は、フリードマンを実質的経済顧問にしていた。
なお、日銀もフリードマンを顧問にしていたけれど、その提言を活かすことはなかった。
「小さな政府」では都合が悪い、きっと、大蔵省が自民党政治家をたぶらかしたのだろう。
わが国は、「大きな政府」を、いまでも「国是」としている。
『選択の自由』には、「消費者団体」が消費者のためになるとは限らないという事例や、「労働組合」が労働者のためになるとは限らないという事例も「章」をたてて書かれていた。
いまやっと、アメリカ人はフリードマンの解説を苦く思っているに違いない。
さて、宿敵トランプ政権打倒を成功させた自負と安心感からか、こんどはテレビ局の免許取消がはじまった。
社会主義者(かならず全体主義になる)とは、自分の「理論」が絶対だとして譲らないという習性がある。譲ると粛正されるからである。
それで、「BBC」と「CCTVの海外放送」が、双方の国で放送免許を取り消している。
わが国の「NHK」は、かすりもしないから、「BBC」よりよほど悪辣だとかえって素性がばれた。
イギリスでも国民のBBC批判は高まっていて、この点はNHKと似ている。
アメリカ大統領選挙報道では、あの偏向のCNNと、あらそって偏向ぶりを見せたのがBBCだったけど、国際放送としてNHKを視聴するひとがいないからか、NHKの話題は薄い。
そんなBBCが、どうしたことかウイグルでの「問題」を、ちゃんと放送した。
わが国は、外務省が「人権問題はない」としているから、NHKも「ない」ことにしている。
人権よりもカネが欲しい。人権では食っていけない。
世界が呆れるいい分でも、いくらでもいう「非道義国家」に成り下がったから、「日本はいい国だ」といって国民をなだめる放送をする。
余計なお世話なのである。
イギリスがCCTVの海外放送を免許取消にしたのは、(外国)政府当局が放送内容をコントロールしているなら違法(政治宣伝にあたる)だという法律がもともとあったからである。
どうやら、この条文の存在にイギリス人が最近気がついたようだ。
アメリカ民主党に肩を持った、昨日の友が今日の敵になったのである。
どちらの放送局も、「真実を伝えている」と言い張っているのが、笑いを誘っている。