常套手段のプロパガンダ「敵の非人間化」

英語では、「dehumanization」という手法は、プロパガンダ(政治宣伝)のなかでも、かなり「伝統的な手法」である。

以下、渡辺惣樹氏の『戦争を始めるのは誰か』(文春新書、2017年)を参考に、書いておく。

もっともこの方法を効果的につかったのは、もう100年以上も前になる、第一次世界大戦(1914年~1918年)を目の前にした英国で、この当時の国家機関(外務省の外局)に、「War Propaganda Bureau:戦争プロパガンダ局:戦争宣伝局」(1914年設立)があった。

「第一次世界大戦」として、学校では、オーストリアのフェルディナント皇太子夫妻(オーストリアは「帝国」なので、「皇太子」でよい)がサラエボで暗殺されたことが「原因」だと教わるが、この戦争はそんな単純なはなしではなく、えらく複雑な各国の思惑が交錯して勃発した。

充満したガスに、サラエボ事件は、「点火」したにすぎない。
その複雑なヨーロッパの状況を背景にしたサスペンスが、ヒッチコックの『バルカン超特急』(1938年)で、この映画の制作時は、今度は第二次大戦の前夜にあたる。

「戦争宣伝局」とは、あまりにもストレートな部署名なので、スマートな英国らしくないとの印象を得るが、こういったまったく悪びれずに「正々堂々」であれたことこそが、英国の邪悪な「素顔」なのである。

その事務所の場所が、ロンドン市内バッキンガムゲートの、ウエリントンハウスにあったために、そのままこの組織のことを「ウエリントンハウス」と呼んでいた。

ソ連のモスクワ市内にあった、泣く子も黙るKGB本部があったのは、「ルビャンカ(広場)」だったから、ただ「ルビャンカ」と口にするのも恐怖ではばかれたのであった。
それで、隣のビルがデパートだったから、KGBのひとは、「デパートの隣の者だ」という風習ができて、それを聞いただけでも肝が冷えたという。

日本だと、さしずめ「霞が関」といいたいが、ちょっと範囲が広い。

さてそれで、ときの首相は、ハーバート・ヘンリー・アスキス氏(自由党:首相在任は1908~1916年)で、同僚の財務大臣、ロイド・ジョージ(後の首相)によって、デイリー・メール紙の文学担当編集者のチャールズ・マスターマン氏を、ウエリントンハウスのトップに据えたことで、H・G・ウエルズやら、コナン・ドイルなどの有名作家もメンバーに取り込んでいた。

つまるところ、プロパガンダとは、自国民や敵国を相手にした「情報戦」(政府に都合よく欺しまくる)のことでもあるから、文学の素養は絶対条件なのである。

それでもって、第一に欺かないといけない相手が、自国民になるのは、「戦意高揚」のためでもあるし、そうでもしないと母親は自分の子供を兵になんぞ提供しないのは洋の東西を問わないからである。
なので、巧妙な「世論形成」をもってして、政府に協力しない(いうことを聞かない)者たちを、「非国民」として差別することを「善」とするのも、洋の東西を問わない。

「学徒」として出陣した長男を戦死で失い、予科練の次男はひとが変わって帰宅したのは結果だが、その前の状況も、橋田壽賀子は「おしん」のドラマでしっかり描いている。

こうした下地ができたところで、敵国については、その非道を非難して、「非人間化」の宣伝を通じて、「やつらは人間じゃないから、殺していい」とする価値観にまで導くのである。

ちなみに、こうした「非人間」という発想は、非キリスト教徒のことだったから、宣教師の役目とは、皆殺しのステップの露払いだったのである。

まったくもって、萬屋錦之介が演じて一世を風靡した時代劇、『破れ傘刀舟悪人狩り』(NET、1974年~1977年、全131話)の決め台詞、「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」でもって悪党たちを皆殺しにするのだが、その前段における「被害の悲惨」があるから、視聴者は間違いなく「溜飲を下げる」ことになって、刀舟と同化してスッキリしたのである。

それゆえに、だんだんとスッキリしたくてこのドラマを観る、という順番にかわる。

これこそが、作り手の「狙い」なのであったけど、この手法の巨大な仕掛けこそが、国家がおこなうプロパガンダのプロパガンダたるゆえんなのである。

そんなわけで、敵のドイツに対して、すさまじき「非人間化」のための、欺瞞(うそ)だけの情報提供が、国民に浴びせられた。
ちなみに、このときの「ドイツ」とは、ヒトラーのドイツではないので念のため。

あくまでも、「第一次」世界大戦でのはなしである。

それで英国軍は、まずはドイツとアメリカを結ぶ通信線を切断した。
こうして、ドイツの声を、ヨーロッパ問題不介入とするアメリカ人の耳をふさいだから、アメリカ人は、「盟友」であるはずの英国からの情報「だけ」を頼りにした。

当時の英国は、いまとちがって、本物の「大英帝国」だったことも忘れてはならないし、アメリカはまだ駆け出し中の新興国だった。

次に、英国は、ドイツ軍の非人道的な行為をでっち上げた。
それが、ドイツ軍による占領地での一般人の虐殺とか、婦女子への陵辱で、ちゃんと「(偽)写真」をつけて、大々的に報道させたのである。

なんだか、ウクライナ、ブチャの虐殺、のような?

いや、ぜんぜん「ような?」なんてものではなくて、まったくそっくりな偽情報だった。

ロシア側の言い分が、マスコミの情報統制によって、われわれの耳目に一切入らないのは、通信線を物理的に切断した英国軍よりも、ずっと巧妙なやり方の「目隠し」なのである。

しかして、ちょっとした手間だけど、ネット検索でロシア側のニュースを自動翻訳させれば、一貫性があるのはロシア側であることは、素人でもわかる。

しかしながら、こんなことをやる個人がどんなに発信しても、「マス」にはかなわない。

わが国の荒廃した教育の再生は、もはや望むべくもなくなった。
「国」(政権与党に従う文科省)が率先垂範して貶めているからである。

それゆえに、個人でプロパガンダの手法を学んで、免疫力をつけることが、残念なレベルではあるけれど、ひとつの「教養」になったのである。

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