幻想の「魚食い」日本人

以前,日本人はコメを食べてこなかった,という話に触れた.
これに加えてじつは,日本人は魚をそんなに食べてこなかった.
たくさん食べてきたのは,漁村周辺であり,それ以外の地域や山間部では,めったに口にできなかった.

1960年からの数字がある,農水省の「食料需給表」によれば,最大値は2001年である.
百年前の1911年から25年の1人あたり消費量は年間3.7㎏で,2012年では30㎏弱だから,いまは8倍ほども魚を食べている.逆にいえば,むかしはそんなに魚を食べていないのだ.
なぜか?

冷凍・冷蔵技術の発達がささえる流通網と,家庭の冷蔵庫がこたえである.
わたしが中学生のころ,群馬のいなかにマグロの刺身をもって親戚各家を訪ねたことがある.健在なうちにと,祖父の兄弟たちを巡る旅であった.
父が運転する自動車のトランクに,たっぷりの氷を詰めたアイスボックスで運んだ.
関越道は前橋ICまでで,まだ全線開通してはいなかった.

行く先々で,祖父のそっくりさんたち(すぐしたの妹のおばあさんが一番似ていた)が出てきて,かならず歓迎の宴会となった.そこで,持参のマグロの刺身を一口つまむと,たいがいの兄弟たちが涙を浮かべてよろこんでいた.
子どものわたしには,大袈裟におもえたが,全員がそれぞれに「こんなに新鮮なマグロの刺身を生まれてはじめて食べた」と言っていたのを珍しく聞いていたから覚えている.

その当時はもう,横浜あたりではふつうの食べ物だし,どこにも珍しさはなかったが,関東地方の群馬あたりでも,内陸部ゆえに魚を刺身で食べることは,そうとうに珍しかったらしい.
だからか,憧れとしてのマグロは,いまではあの草津温泉でも出てくるし,同じく海のない山梨県は日本一のマグロの刺身の消費量を誇っている.静岡から運ばれたマグロが,反対側の富士山の景色をめでながら食されているの図である.

テレビやマスコミの功罪のうちの罪として,旅番組恒例の「地元で水揚げされた豊富な魚介類」という紹介は,絶望的な現実に幻想をあたえるだけの「魔語」である.
日本でとれる魚は,ほとんどなくなったというのが現実だけど,ふつうの生活ではみえてこない.

小田原の駅前には,むかしから有名な干物屋がある.いまでも盛況で,混雑時には店内にすらなかなか入れないほどだが,まじめな経営者がしっかり産地を表示してくれていて,そこには地元小田原漁港も相模湾の神奈川県の漁港も,はたまた日本の地名も皆無である.
あたかも,世界旅行をしているような様相で,できれば世界地図で確認したくなるしらない国もあったりする.

ウィキペディアによると,2016年4月1日現在で,国内には2886の漁港がある.
どれほどが採算に適しているのか,かんがえるだけで気が遠くなりそうだが,戦後の食糧難を支えるために,貴重な動物性タンパク質をいかに確保するのか?という「国策」が,途中でブレーキをうしなった結果だろう.
暴走列車ならぬ,暴走建設になってしまった.わが国の海岸線は立派な漁港ばかりになっている.

そんな漁業者を「救う」ために,こんどは獲るだけ取れるという制度の暴走で,肝心の資源そのものがなくなった.
産卵エリアに大挙して網を張れば,そのうちどうなるかはだれでもわかるが,かつての山本リンダのヒット曲のように,「もうどうにもとまらない」で,廃業を余儀無くされるまで獲りつくしたのは,「強欲」で智恵がなさすぎた.
しかし,この「強欲」の一端は,われわれにも責任がある.

「産地表示」は,販売者への義務となってのしかかるが,加工者にはまだ甘い.
だから,海沿いの旅館は「地物」といってごまかせる.
瀬戸内の静かな旅館で,すばらしい中トロの刺身がでたので「瀬戸内でマグロが獲れるのか?」とイヤミを言ったら,「まさかお客さん,ご冗談がうまい」と仲居さんにかわされた.しかし,その後の一言には重みがあった.
「この辺も,不漁つづきだから,マグロでごまかしとります」

そのマグロ,とくに太平洋クロマグロが絶滅危惧種になっている.
大西洋のマグロは,乱獲防止策がきいて,近年急速なる資源復元が達成された.マグロにかぎらず,世界標準は資源維持を中心価値においている.それで,どちらさまも「漁業が好調」だという.
少なければ,価格が高くなるからだ.

何であろうと安くたくさん食べたい日本人の強欲が,世界で唯一「獲りつくす」という略奪の伝統を維持している.
国連海洋法条約に,沿岸国は水産資源の維持ができる漁獲枠設定を義務としているが,わが国がこれを守っているというひとはいないだろう.守っていれば,かくも沿岸で魚が獲れなくならない.

もし,産地表示が旅館やホテルにも義務づけられたら,料理説明は世界の地名ばかりになるだろう.
「地物」は,養殖が9割の海藻類,刺身のつまにあたる「わかめ」だけ,ということも笑えない冗談ではない.

沿岸の旅館の苦悩はつづく.

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