このブログにおいて、何度も「レジ袋の有料化」について批判してきた。
法律の改正「ではなく」て、省令改正という役人の任意にちかい方法をとったことが「悪質」であるとも書いた。
国家による国民の生活経済への「脅し」という手法が、まかり通ることを意味するからである。
しかし、今回の「省令改正」には、従来にない「罰則」とリンクするという「技」が折り込まれていて、たんなる「脅し」から、完全な「脅迫」の構造になっているので書いておく。
まずは、元凶となっている「法律」から。
容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律(平成七年法律第百十二号)
このときは、自民党と社会党の連立というむちゃくちゃだった、村山内閣である。
なお、経産大臣は、次の首相になった橋本龍太郎だった。
さて、罰則もいろんなことが定められているけれど、今回の「レジ袋」に関係するのは、以下に載せた条文である。
「第四十六条の二 第七条の七第三項の規定による命令に違反した者は、五十万円以下の罰金に処する。」
文中「第7条の」に続く「命令に違反した者は」と、国家が定めた国民生活に係わる「命令なのだ」ということが明記されていることに注目しよう。
そこで、対象となる「規定」は以下のとおり。
「主務大臣は、第一項に規定する勧告を受けた容器包装多量利用事業者が、前項の規定によりその勧告に従わなかった旨を公表された後において、なお、正当な理由がなくてその勧告に係る措置をとらなかった場合において、容器包装の使用の合理化による容器包装廃棄物の排出の抑制の促進を著しく害すると認めるときは、審議会等(国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第八条に規定する機関をいう。)で政令で定めるものの意見を聴いて、当該容器包装多量利用事業者に対し、その勧告に係る措置をとるべきことを命ずることができる。」
主務大臣とは、経産大臣のことだから、念のため。
レジ袋の有料化の「プロパガンダ」には、「地球環境」とかいう用語が多用されている。
だから、あたかも「環境大臣」や「環境省」が「主務」とか「管轄」しているように誤解してしまう。
しかし、環境省っていうのは、もとが「環境庁」だった。
この役所ができた発端は、水俣病という人為による病気被害が1956年に明らかになって社会問題になったことに起因している。
しかして、15年も経った1971年に発足した「庁」である。
それから、30年後の2001年に「省」へ昇格している。
つまり、わが国官僚機構でいえば、かなり格下の役所である。
もちろん、最上位に大蔵・財務省という鉄板の予算編成権と国税徴集警察が君臨している。
これと「並んで」、日本経済の根幹を支える、という嘘にまみれた役所が通産省・経産省だ。
いまや、経済学的にも、経済史的にも、経産省が日本経済の役に立っているという議論は消極的で、むしろ邪魔をするという定評だけはある。
それでも経産省が経済界に君臨しているように見えるのは、バラマキのおかげなのである。
もちろん、かれらがばら撒くのは、国民の税金で自分のカネではない。
大蔵・財務の主計官僚を説得すればよく、国民を説得する必要などほとんどない。
でも、ただでおカネがもらえることを喜ぶ財界乞食や学者乞食がたくさんいるので、そんなやつらの権威を利用したイエスマンたちの審議会を通せば、国会審議をおそれることはない。
それで、ちゃんと「審議会等(国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第八条に規定する機関をいう。)」と書いてある。
つまるところ、レジ袋の有料化の問題とは、地球環境でもレジ袋の削減でもなんでもなく、省令と罰則をリンクさせることに成功した「前例」という実績ができたことにある。
経産省のエリートが地球環境やレジ袋の削減に「本気」のはずがないのである。
いま大騒ぎの「GoTo」は4月7日の「補正予算」で決まったことをやっている「お役所仕事」にすぎない。
一度決めたら、なんとしても実行するのが役人の行動原理なので、「止まらない」のである。こうして、あの戦争もやっていた。
兆円単位のこれに隠れて、予算枠は地味だけど2000億円規模の補助金制度ができている。
中国・香港からの事業引き揚げ(帰国あるいは第三国への移転)に係わる補助金である。
米中の摩擦がエスカレートしているこの時期、経営判断としてどうするかを決めるのは経営者の仕事だが、これに国が関与する正当な理由はなにか?
不測の事態で最悪なのは、在住者の人命など身体にかかわる危機になったときの「脱出・救助」である。
しかし、役人は何もできない理由をならべるにちがいない。
「ほら、あの時、補助金をだしてやる、っていったのに」と。
令和2年とは、国家が国民生活に命令する年となったのである。
忘れずに、肝に銘じておきたい。