世に「沼」とよばれる、こだわりだしたら一生抜けられなくなる、悪魔的落とし穴がたくさんある。
むかしの「紳士」がはまった典型の「沼」は、たいがいが「万年筆沼」で、この沼には、もう一段、「インク沼」も用意されているから、容易に抜け出すことはできないのである。
それゆえに、いつしか「収集」することが「目的に化する」という、異常な精神状態になるので、「書く」という目的はそっちのけで、ただひたすら「集める」行為に耽ることになる。
ただし、強者は、ペンの材質やペン先の研磨・調整にも「こだわる」ので、だんだんと経験を積めば積むほど、その知識はそんじょそこらの文房具屋の「プロ」を超えてしまうものだ。
茶道具も含めて、「道具類」とは、およそこういうことになっている。
たとえば、わたしは喫煙道具としての「パイプ」にはまったことがある。
けれども、たまたま「禁煙」することになって、すっかり「抜けた」ら、これまでのコレクションが、ただの「ムダ」になったのである。
この意味で、「万年筆沼」とは、人間がなにかを書くことをやめない限り「ムダではない」という自己弁護ができる分、より一層深刻な中毒性があるのだとおもわれる。
そうやって、とうとう「原稿用紙沼」にもはまりこんで、「特注」したくなるという域にまで達すると、はじめて「何を書くのだ?」に気がついて、ロット分の原稿用紙を一生かけても使い切れない現実に、途方に暮れるのである。
そんなわけで、現代の「ペン」にあたるのが、「キーボード」になる。
わが国では、「日本語キーボード」と「英語キーボード」の二種類が売られているけど、言語によってそれぞれのキーボードが存在することは、いうまでもない。
もちろん、キーボードの前には「タイプライター」があった。
それで、「日本語タイプライター」という特殊機器がとくに「公文書」に関する事務所では不可欠だったのである。
大きな盤面に細かくひらがな・カタカナ・漢字・数字・記号があって、これをガイドを滑らすようにあてることで、一字一字をタイプするのだから、どの位置になにがあるかを覚えるという訓練が絶対条件になっていた。
対して、「英文タイピスト」という、とくに女性に人気だった職業もあった。
こちらは、とくにことわらなくとも、「英文タイプライター」を用いるもので、学生向けに「英語学習」と称して廉価版が大きな文具屋さんにはあったのだった。
おもしろいのは、アラビア語のタイプライターもあって、わたしのエジプト人秘書は、英語とアラビア語両方のタイピストだった。
シフトキーを使って、アラビア文字の「次の文字とのつながりルール」をコントロールするし、余白ができそうなら「—-」のように「伸ばして」タイプする美的センスが求められる、意外があった。
これは、アラビア文字の表記にも、「楷書」「行書」「草書」があって、なんと「アラビア書道」もちゃんとあることの影響なのである。
「偶像崇拝の禁止」が厳しいために、アラビア美術における「文字の芸術化」が根底にあるためだ。
そんなわけだから、外国の言語に適したキーボードがあるのも当然である。
前にも書いた「日本語キーボード」とは、「ひらがな入力」のためにデザインされている「だけ」なので、「ローマ字入力」するならば、「英語キーボード」の方が適している。
だから、消費者には「ひらがな入力用」とか、「ローマ字入力用」と示せばいいものを、あたかも「日本語」「英語」というから、いまだに「英語」を倦厭するひとが絶えないし、「英語キーボード」では日本語が打てないとおもいこんでいるひとがいる。
それに、「全角」「半角」の切替ボタンが英語キーボードにないから、独立キーがある「日本語キーボード」でないといやだ、というひとがいることも驚きなのだ。
ローマ字入力用の場合の「切替」は、デフォルトで「Alt」+「~」だけど、キーボードのショートカットキー設定で、「Ctrl」+「Space」にするのがふつうだ。
すると、わざわざ「半角・全角ボタン」に手を伸ばすより、だんぜん楽になる。
まぁ、日本語キーボードでも、「変換」「無変換」をこの切替に設定するのとおなじだけど。
しかし、いまも主流の英文タイプライターのキー配列は、ホンモノのタイプライターでの高速タイピングで「からまる」という厄介が勃発したために、高速タイピングができない「工夫」がされていまに至っている。
それで、パソコンのキーボードには、わざわざ高速タイピングができない工夫がナンセンスになったので、「変態キーボード」が出現したのである。
これが、左右に分かれていて、それぞれに「人間工学的」傾きをつけると、好みの肩幅になって、手の角度の「快適性」が劇的に改善する。
もちろん、「肩こり」も劇的に発生しない。
さらに、キーマップの保存と呼び出しボタンとかで複数パターンを設定するとか、あるいは「トラックボール」を一体化させると、もはや、「ホームポジション」から一切ずれずにあらゆる操作が可能になるのである。
これぞ、パソコン、の正しい操作だ。
キーボード内蔵のメモリにパターン設定をいくつか記憶させるから、PC本体が別物になっても、接続すれば、すぐさま「いつも」が実現する。
しかして、この変態キーボードがないと、ふつうのキーボードでは大不満という事態になって、快適さどころか「不快」が襲うことになるのである。
ようやくの沼からの脱出のつぎにやってくる、変態キーボード依存症なのであった。
世の中には、悪魔がいるのである。
そんなわけで、「変態キーボード」にはあえて手を出さずに、せいぜい「静電容量無接点方式」の高級機で我慢するのが、まだ「無難」なのであった。